2017年09月16日

アシダカグモ。

皆さんこんにちは。私は、チャームサロンカワサキの中谷まさのぶです。

今回は、私と妹(土橋素子)の、幼い頃のキョーフ体験譚です。


子供の頃、住んでいた家は海南の栄通りの入り口にあって

店舗兼住宅になっていました。薬局の後を父が居抜きで買い取って、

ここへ引っ越したのです。昭和46年。大阪万博のあくる年の、風薫る5月のことでした。





敷地は50坪もあったでしょうか。

表通りに面した間口がとても狭く、

その分、あまりお商売の役に立たない横の狭い路地に面した奥行きが異様に長い、

長々方形の家でした。




家は2階建てで、傾斜80度の、京町家でもそれはないわ~、と言うほど急な、

梯子の様な階段を上がった2階が丸々居住スペースでした。

間取りもその形状に合わせるように、                                                                        
いくつかの部屋が廊下伝いに奥へ奥へと伸びており、

小学3年の自分には、それまで住んでいた、2間ほどの、トイレすら共同であった家のことを思うと、

メダカがいきなりブリになったみたいな高揚感で、越したその日やあくる日は

、妹と二人、すぐに見慣れるであろう家の中を「探検」 などと言って徘徊していました。

しかしあくまでも新築、ではなく居抜きなので、

うっすらと積もった欄間の埃にも、破れた障子を張り替えた痕にも、

前の住人がつい今しがたまでここで呼吸をしていた「気配」のようなものが満ち満ちていて、

何か子供心にすぐに打ち解けない不寛容さを示していました。





「探検」が「日常」へと変化しすると、「気配」はより濃密になったようでした。

両親はお商売をしているので、私たちが寝入る頃でないと2階には上がってきませんでした。

1階の店舗と、2階の住居は、床板一枚なのですが、

長い奥行きと梯子階段によって月と地球ほどの距離がありました。

子供たち二人にとって、この奥行きは、恐怖でした。

夜、寝ようと灯りを蛍光灯から豆球に換えると、

隣の部屋からひそひそと話声が聞こえるような気がしました。

破れた障子に貼ってある、月のマークの花王のロゴが少し笑ったように感じました。

国道42号を通り過ぎる車やトラックのタイヤの擦過音が物の怪の咆哮のようにも聞こえました。

妹は、隣で爆睡しています。

私は、隣の部屋できっとひそひそ話をしている魑魅魍魎や、国道を行く猛獣とタタカうために、

枕元にはいつも姫だるまを置いて味方にしていました。






引っ越して初めての夏が来ました。

日方小学校からのプールの帰り道、栄通りを歩くと自動ドアの無い時代なので、

店店の前からエアコンの冷風が汗ばんだ頬を撫でてくれました。





ウチのお店では、LPレコードからハワイアンが流れていました。

水冷式のエアコンからは、ギュンギュンにアラスカの冷風が送り届けられます。

子供心に、何とも「ときめく」気分でした。

ランドセルを背負ったままお店の中を一直線に駆け抜け、扉一枚開けると、

「今の全部ウソでっせー」と言わんばかりに強引な真夏の湿気に茫然としました。

梅雨が明けてすぐの、清く正しい真夏が、お店以外に満ち満ちていました。


食堂では、妹が麦茶を飲んでいました。私も、冷蔵庫から麦茶を出して、

カルピスのガラスのコップに3杯、立て続けに飲み干しました。

食堂の天井からは、茶色くテラテラ光る「蠅取り紙」が吊るされ、

銀蠅ショウジョウ蠅がくっついています。




ひときわ大きい肉蠅が羽根を絡めとられて、無念なり。という風情で

足をバタバタさせています。

見るともなしに蠅取り紙を見ていると、唐突にお腹がきゅるきゅるいってきました。

いきなり冷たいのを煽ったからでしょうか。お腹が下ってきたのです。


トイレは、長方形の家の、表通りから離れた一番奥にありました。

昭和46年。もちろん汲み取り式です。

「トイレ行ってくら~」。妹に言い残して、狭い廊下を抜け、トイレに入りました。

小便所の奥が、大便所になっていて、靴を脱ぎ、

段差50㎝ほどの、小上がりの上の扉を開けて中に入りました。






お腹は、ぎゅるぎゅるでした。瞬発的にコトを終えて、(ふう)。と一息ついて、

見るともなしに便槽の中を覗きました。

便槽は広いものではなく、一定の幅を備えた筒状でした。

その筒の中から、奇妙な物体がものすごい勢いで、私の跨いでいる足元めがけて駆け上がってきました。

(な、な、な、な、?) 物体は最早便器の陶器の白い部分にまで競りあがり、

今まさに私の右足に乗りかかろうとしていました。クモ。でした。学名アシダカグモ。





大人の掌を、広げたくらいの大きさのクモが、仄暗い便槽の奥に潜んでいて、

こっちの「ぽっとん」に驚いて駆け上がってきたのです。

「でええええー!」パンツを下したまま跨っていた便器から飛びのいたのですが

パンツで足が絡まって扉に体をぶつけたら扉がきっちり閉まっていなくて、

50㎝の段差をダンゴ虫よりも丸く下へと転がり落ちました。

コンクリートで膝を打ちました。大声に驚いた妹が食堂からやってきて、

パンツを下ろしたまま床に転がっている私を見て、「どないしたん」 と言いました。

「クモや!」 

「クモがどないしたん」 。

私は、扉の向こうを指さしました。

巨グモは姿を消していました。






長かった夏が、ありゃま、と気抜けするくらいにヤル気をなくし、

急に涼しくなったお盆過ぎのことでした。

私と妹は、シャッターを閉めるのを手伝っていました。

夜の、7時でした。今のように電動シャッターではありませんでしたが、

大方のお店が木戸の時に、鉄製のシャッターは珍しく、

ガラガラガラとシャッターを下すのが、子供の頃の楽しみでした。

父親が、お店の間口の3カ所に、支柱を立てます。

そうすると私たちは、奪い合うように、先が鍵型になった鉄の棒を手に取るのです。

それで、入り口の上に格納されているシャッターの下の窪みにフックを引っ掛け、

力を込めてシャッターを引き下ろすのです。

小学3年の私は、余裕でフックを引かっけて、シャッターを下ろすことができました。

小学1年の妹は、身長が足りないので、背伸びをして、

思い切り背伸びをしてようやく鉄の棒がシャッターに触れるだけだったので、

私が先にフックを引っ掛け、妹が、ぶら下がった鉄の棒を下に引き下げるのです。

シャッターは結構重く、私が力を溜めて引っ張って、ようやく、

ガラガラガラと下りてくる、そのような構造だったので、

妹の力ではなかなか、勢いよくガラガラ、と言うわけにはいきません。

それでも妹は、鉄の棒に全体重を預け、引っ張ると、

ガラ、ガラ。シャッターは少しずつ、降りてくるのです。

妹は、顔を真っ赤に紅潮させ、それでも、こんな嬉しいことはない、といった満面の笑みで、

鉄の棒を懸命に引き下ろしていました。


その時、ゆるゆると下りてくる鋼鉄のシャッタ―をぼんやり眺めていた私の網膜の隅に、

シャッターと一緒に、何かぼんやりとした黒い塊が下りてくるのが見えました。

(ん?)

 黒いもやもやは宵闇に紛れて姿かたちが判然としません。

やがてシャッターが中程まで下ろされた時、店の中の鮮明なハロゲン球に照らされて、

黒いもやもやがその正体を現しました。

クモ、でした。

大きなクモが、店の入り口のどこかを固定点にして糸を垂らし、

シャッターと共に降りてきたのです。

私は、立ったまま腰が抜けてしまいました。

私の口から、防災無線のサイレンのような、犬の遠吠えのような音が漏れました。

数秒の出来事でした。

こぼれるような笑みを湛えた、おかっぱの、

火垂るの墓の節子と瓜二つの妹の髪の真上に、

関取の手の平ほどのクモが、高級シルクのように、ふわさ。と舞い降りました。



アシダカグモは益虫で、これが家に2匹いるとゴキブリがいなくなる、と言われています。仲良くするのが一番。なのですが・・・・|д゚)





               


  

  


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2017年05月06日

すなどりねこ。

神戸に住む友人が家を新築したので遊びに来ないかと言ってきたのは

ゴールデンウィークの少し前のことでした。

「いや新築言うてもな。マンションよ。うち今まで阪神尼のボロアパートやったん知っとーとやろ。」 

(知っとーと。やて。30年経ってもしゃべり方変わらんわ)。

大学で同じクラブに入った彼のしゃべり方が、何を言ってもとーと、とニワトリを追い立てているようで可笑しく、

また見た目がハッとするほど色白だったので「白色レグホン」などと勝手にあだ名をつけていました。




白色レグホンは、とーとー、を真似されると非常に怒り、

顔面がすぐ真っ赤になったのでその時は「赤色レグホン」などと言ってさらに囃していたのです。

しかしそのうち白色レグホンは私の和歌山弁の「ちゃる」「~しちゃある」を発見して大いに喜び、

彼は彼でこちらの和歌山弁を面白がって真似をするのですが、

ちゃる、は必ず動詞の後につけねばならないものを藪から棒に「お昼ごはんちゃる。」

などと言うので誤りを正しても、えへらえへら笑って腹が立って

つかみ合い一歩手前で京都の友人にはんなりたしなめられる、と言うことがしょっちゅうでした。


「ちょっと職場から遠なったけどな」。彼の職場は西宮市役所、

マンションは、六甲の裏側でした。

10階の4LDK。居住空間としては申し分ないのですが、モンダイはロケーションにあります。

「お前夜景キレイや言うたやないか」 私が言いました。

「夜景見えるで。ほれそこのビル群。」 

「ビル群ってお前、あれ有馬温泉やないか。湯治場やないか。湯煙上がっているやないか」 

神戸と言えば灘区や須磨垂水、が耳なじみがありますが、

北区、と言う住所を聞いた時からどうにも怪しい、と思っていたのです。

まあしかし長年の友人の積年の想いが詰まったマイホームであり

たった今三宮そごうの「なだ万松花堂弁当」を御馳走してもらったばかりであるので、

私はことさらに「尼と較べて空気全然ちゃうやろ?これはええ買い物やで」などと、

ふとした拍子に「職場がなあ、遠なって・・・」と湯煙が目に染みるような泣き笑いのような顔を浮かべる彼を、

ええ買い物や、ええ買い物や、と誉めそやすのです。





「あ、今日これから後のことやけどな、時間あんにゃろ? ほしたらスナドリネコ見に行かへんか」

白色レグホンは、いきなり謎の言葉を発しました。スナドリネコ。何だそれは。新手の神戸弁か。

訝る私を尻目に、「ウチの子なあ、前から見たい言うとおんよ。

今日学校臨時休校でウチにいとおんよ。ほんで平日やろ。空いとうで」 。

私は、「スナドリネコってなんや。トルコ料理か。うまいんか」。などと最初は冗談で言っていたものの、

白色レグホンはこちらがいくら詰め寄ってもスナドリネコの何たるかを明確にせず、

隣の部屋から物音立てずに籠ってゲームをしていたらしい小4の息子を引っ張り出して、

「優斗。お前が前から見たい言うてたスナドリネコ見に行くで」 と言うと、

やはりハッとするほど白い小4の息子の顔面が見る見る赤色レグホンになるので可笑しくなりました。


白色レグホンの車の後部座席に私、助手席に小4の息子を乗せて、

友人の車は六甲山系を突っ切り、いきなり神戸の街中に出ました。

今度こそ、ホンモノの神戸のビル群です。

白色レグホンは、車が赤信号で止まるたびにせわしなくスマホをいじっています。

そして、車が三宮の駅前の交差点の信号で止まっている時、おもむろにスマホをこちらに向けました。




得意満面に鼻の穴を膨らませています。

「何やそれ。ヒョウか?」私が尋ねると、彼は次の赤信号でさらに画面を操作し、私に見せるのです。




ネコ、とつく時点で何やら嫌な予感はしていたのですが予感が的中しました。

どうやら、神戸まできてネコを見に行く羽目になりそうです。

明らかに私のテンションがマリアナ海溝付近まで沈んだのを見て取って、

白色レグホンは「いやすごいで。ただのネコちゃうで。見てみい。水辺のハンターって書いとうやろ」

ネコは普通水を嫌う動物ですが、何でもこのネコは、

水の中に棲む魚や両生類を、目にも止まらぬ俊敏な動作で次々狩る、のだそうです。

ネコねえ。私のテンションはやや浮上して、それでも大阪湾の底くらいでした。

車は三宮を抜け、ポートアイランドに入り、その先も先の「神戸どうぶつ王国」に着きました。

動物、ではなくどうぶつです。どうぶつの王国です。

お子様向けの看板を見て私のテンションはさらに紀伊水道付近まで沈み込むのを、

白色レグホンは「いやおもろいて。僕もう4回目」。と言って車を降り、

小4の白色レグホン2号も後に続くので仕方なく車を降り子供たちでごった返すゲートをくぐるのです。




神戸どうぶつ動物王国。旧花鳥園、だそうですが

これはまあお子さんお孫さんのおられる方は一度行って損はないかもしれません。





どうぶつ王国は、その名の通り、動物まみれ、でした。

しかし天王寺動物園のような、檻が必要なトラやライオンはいません。

いわゆる草食系や鳥中心で、しかも人との距離が異様に近いのです。

そして、全体的になんともユルい空気感です。


スナドリネコ。

いてました。

園の一番奥まった「熱帯の湿地」エリアで、

大勢の子供たちに囲まれていました。

ガラスで仕切られたブースの中が水辺になっていて、やや大きめのトラ猫が

、水の中にいるオタマジャクシよりも小さな魚に猫パンチを繰り出しています。

スナドリネコ=漁り猫。ブースの前に書かれています。

では漁るのかというとこれがもうまったくの下手くそ。と言うよりやる気なし。

おじいちゃんが顔の前を飛ぶハエを払うような緩慢さで猫パンチを繰り出すので魚は当然逃げます。

これだと50年経っても魚は取れません。

しかし子供たちのコーフンはものすごく、「ネコさんがんばれ」 コールがブース内にこだまします。

「ネコさんがんばれ」 「ネコさんがんばれ」 

子供たちの声がありがたい念仏のように聞こえ、

私も口の中で小さく低く「ネコさんがんばれ」と呟きました。











  


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2015年07月13日

虹のむこうは。

今日の夕方、海南に虹、が出ました。





台風11号が送り込んでくる南からの湿った風で、

蒸し蒸しの一日でした。

ユーミンのアルバムで「水のなかのアジアへ」というのがありますが

今日はまさに外に出ると水の膜を肌にまとうような、

体温と同じくらいに温まったプールの水の中を、ゆたゆたと歩くような、

温帯モンスーンを感じる一日でした。


で、その締めくくりに、それは見事な虹が出たのです。




虹のような望洋とした自然現象は、視界では捉えられるものの

写メ、などで撮ると写りこまないことがあったりするのですが

今日はあまりにもはっきり、くっきりしていたので

キレイに撮れました。虹の根っこ、というものを捉えたきがしました。





もっと近づいて、根っこ、の部分に行ってみたら、どのあたりまで虹を肉眼で見ることができたのだろう。

そんなことをぼんやり考えながら、水の中のアジアの片隅を、原付で走るのです。









  


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2015年01月17日

続 8時ちょうどの のぞみ56号。

猛烈な空腹を抱えながらも新大阪で駅弁を買いそびれ、
慌てて飛び乗った、新大阪発8時ちょうどののぞみ56号。その続編です。







指定席は、満席でした。新大阪発8時ちょうど、でわかりやすかったからでしょうか。
慌てて飛び乗った私は、肩で息をしながら自分の席を見つけ、どっこらしょう、と腰掛けました。
隣の席ではリクルートスーツを着た新卒風の若い女性が、
たこ焼きとビールですでに晩ごはんの真っ最中でした。
弁当も雑誌も無く、しかも通路側で窓外にも目をやることが出来ない私は所在無く、後はもう車内販売のワゴンが来るのを待つのみ、なのです。

新幹線は、京都を遥か過ぎ、米原らしきホームが後方に遠ざかって行きました。
ワゴンは、一向にやってくる気配はありません。
車内販売のワゴンは、いつもなら京都を過ぎたあたりに来るものなのです。
大阪を出てかれこれ40分。うーむこれはどうしたものか。
弁当に備えて倒していたテーブルが邪魔になって、
パタン、と閉じて、テーブルの裏の記載で、



16号車であるな。

この車両が16号車、要は一番端の車両であることに、ここで改めて気がつきました。
端なのでワゴンが遅いのだな。
それにあの、新大阪駅の売店の弁当完売。
それに、満席。
8時ちょうど、というわかりやすい時間はあずさ2号だけで充分なのにと意味不明なことをブチブチ妄想しているうちに、新幹線は、ついに名古屋のホームに滑り込みました。




大勢の人が席を立って降車口へ向かいます。
窓外を、駅弁、の二文字が通り過ぎました。
おお! そうかそうであった。何もワゴンを待つことは無いのだ。
ホームに出て発車までの間に駅弁を買い求め手に入れる、ということだってあるのだ、
守りばかりではいかん、攻めるのだ。日本のサッカーもそれで駄目なのだ、などと
前後不覚になりながら財布を握り締め、席を立ちました。

しかし到着が夜9時前で、名古屋人には丁度良いのか、
降りる人がひきも切らず、立ち遅れた私はその末尾についてホームに降りると、
もはや発車のベルが鳴っています。
一度は果敢に弁当屋のある方向へ走りだしたりしたものの、16号車は余りに遠かった。
3両分ほど走ったところで断念し、また走って16車に手ぶらで駆け戻りました。
車内に入る前にホームから自分の席が目に入りました。
私の隣の窓側でたこ焼きを食べていたリクルート女子が、
深海魚を見るようにガラス越しにこちらを見ていました。
いきなり席を立ったかと思うとホームをものすごい勢いで走っていって、
すぐ戻ってきて肩で息をしているのですからこれはしかたありません。
私は、頭の中の深いところでちくちょうちくしょう、と叫びながら
後はもうワゴンに賭けるしかないのです。

豊橋を過ぎました。ワゴンは来ません。
浜松の灯りが見えてきました。
丸亀製麺で釜揚げ並、を食べてから、かれこれ10時間は経つなあ、
もう、あきらめよ。などと半眼のフーセン頭になっていたその時、ついに、




おワゴン様が、来た。

この瞬間まで幾星霜。
やっと弁当を手にすることができる。
ワゴンは、私の前で2度3度、ビールやおつまみやらを要求されながらも、確実に、
私の座します16号車2Dの席へ近づいてきて、
今まさに私の挙手により、横づけされました。
私は、特段どうということはない体で言いました。
「弁当、ありますか?」 「すいません売り切れなんです」 
おお。
「弁当に替わるものないですか。サンドイッチとか」 。
ワゴンの娘は困っています。
「サンドイッチも売り切れなんです」 「何でもよいので。替わりになれば」 
隣のリクルートたこやき女子が明らかにこっちを見ています。
さっきの名古屋ダッシュは駅弁探しであることすら見透かされたようです。
食い下がる私に、ワゴンの娘が言いました。「赤福・・・とか」 。
隣の席のたこやき娘は背中を向けました。必死で笑いを堪えているのでしょう。
どこの世界に弁当の替わりに赤福をむさぼる輩がおるのか。
そこで私が、おおそれは良いですなあ、などと言って赤福をバクバク食べ出したら
隣の席のたこ焼き娘はハラワタがよじれて悶絶卒倒するに違いありません。
結局、散々の押し問答の末、ちくわ、を手に入れました。そのちくわが、

えらいこと、ちっちゃい。




私は、いじいじとちくわを齧りながら、となりでくうくう寝息を立て始めたリクルートたこやき女子の向こうに飛びす去っていく窓外の闇を、ただただ見つめるのでした。














  


Posted by チャームサロンカワサキ&フェイシャルクラブ at 18:50Comments(0)せんむのブログ

2015年01月16日

8時ちょうどの のぞみ56号。

“矢も楯もたまらず”ということがあります。平らに言うと、がまんならずに、といったケースに用いられることわざです。

“矢も楯もたまらない”状況は、人間の基本的生理欲求が満たされない時によく現出する場合が多く、例えば10代の頃などは、受験勉強の最中に睡魔に襲われる、あるいは、親の目に隠れて道徳上良からぬ本の入手に血道を上げる、などということはまさに、矢も楯もたまらず感に満ち溢れている事柄なのです。

ところが、50歳を過ぎたあたりから、どういう訳かこれらの生理的欲求の中であらゆるものが減退していく中、「食欲」だけが研ぎ澄まされて、やたら腹が減る。このことを冗談交じりにメーカーの営業などに話すと、「良いことではないですか私などはこの前の健康診断で胃にポリープが」などと、うらやましがられることもあるのですが、とにかくやたらとお腹が減るのです。


久しぶりに東京へ出かける日のことでした。この日はお昼に丸亀製麺で「釜揚げ・並」を食べただけで、夕方になると空腹を覚えていました。東京での用事はあくる日の朝からだったので、向こうで前泊するつもりで、時間があるのでぐずぐずしているうち夕方になり、慌てて夕方6時40分海南発の「くろしお」に乗りました。



のっぺらぼうになった新型くろしお。icon18


これだと夜7時51分に新大阪着で、海南駅の窓口に任せて取った新幹線は8時ちょうどだったので、乗り継ぎが9分しかありません。(弁当買う時間計算に入れといたらよかったな。でもまあ9分あったら充分やろう)。新大阪での乗り継ぎは慣れたもので、最低3分あれば間に合うとタカをくくっていたのです。新大阪で、水了軒の「八角弁当」と生ビールを買って、京都を出てから、窓際のE席で琵琶湖沿いの景色を見ながら食べる、ということを私は至福としていたのです。



水了軒の八角弁当。揚げものを使ってないので冷えても美味。ik_18


2分遅れで「くろしお」は新大阪に着きました。8時ちょうどの、のぞみ、に乗るにはあと7分です。
私は新幹線乗り継ぎ改札を通り、八角弁当を求めて構内の弁当の売店へ直行しました。弁当売り場の前には、あろうことか、黒山の人だかりができていました。



普段見ない景色。face08


上京するときはたいがい朝10時頃の新幹線で、弁当売り場も閑散としていてすぐに八角弁当ゲット、となるのですがどうにも不穏な人だかりです。そして皆口々に、声高に、魚のセリのように大きな声を出しているのです。
最前列まで移動すると、詰めかけたお客が、僅かに残った“柿の葉ずし”やサンドイッチを奪い合い雄叫んでいるのでした。



弁当のきなみ完売face07

ここで即座に状況を察して、柿の葉ずしを手に入れておけばよかったものを、口がもう八角弁当になっていた私は柿の葉ずしへの切り替えが効かず、そうこうしているうちに発車の8時ちょうどが迫ってきました。慌ててホームに駆け上がると、発車のベルがプルプルと鳴っています。




KIOSKに寄っている暇も無く、私は、自分の指定席の16号車へ飛び乗りました。
16号車の2番D席。これが、後から思わぬ因果を含めることになるとは、この時はまだ気がついていなかったのです。 

つづく\(-o-)/



  








  


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2014年09月18日

コスモスパーク

チャームサロンカワサキ本店の西田です!今回のDMにも載せていた有田市のコスモスパークに休日お弁当を持って出掛けました〜
道のりは...すごい山道...『大丈夫?ここ道あってる??』って思うぐらいの山道...不安いっぱいでナビを信じて進みました...
するとっ!無事着きました!ナビはやっぱ賢かった(笑)

車を降りるとコスモスが一面咲いていて景色も絶景でした!来てよかった♡って思いました〜たくさんの人がコスモスを見に来ていました!


着くなり待ちに待ったお弁当♡

天気も良く景色のいい場所でのお弁当ら最高でした!帰りに寄り道〜
あらぎ島の棚田百選を見に行きました!昔の人はスゴイ!!!


満喫した休日でした♪  


Posted by チャームサロンカワサキ&フェイシャルクラブ at 12:30

2014年03月17日

哲学の道。

桜、というのは満開か、今度の雨風で散るかも、という頃合いが一番きれいですね。

京都は東山の、哲学の道、は、それよりもう少し時間が経った、散り染め、の頃が良いのです。




この小径の真ん中に、琵琶湖疏水、という小さな小川のような堰が流れていて、

この堰に花びらがはらはらと舞い落ちて、水面が桜で覆われます。



時には、水面がかくれるくらいの花びらで、埋め尽くされます。




はらはらと舞い落ちた花びらは、ゆるゆるとした水流に流されていくのですが




その様はまるで花びらの筏(いかだ)のようで、“花筏”などと呼ばれ、

京都を代表する桜の名所になっています。

花びらの数と同じくらいの観光客でごった返すのでその辺りの覚悟、も必要ですが。


哲学の道へは、京都駅から市バス5、17、100番で銀閣寺道下車、

車だと和歌山から近畿道~第二京阪経由で、久御山ジャンクションを突っ切って

阪神高速京都線の鴨川東、で降りて1時間40分ほど。

第二京阪のおかげで京都がグッと近くなったface02

4月に入って、満開を少し過ぎたあたりに出かけてみるのが良いですねface02



  


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2014年03月14日

倉敷行 3.

3時半に着いた倉敷美観地区。

大原美術館を観てすっかり夕方になってしまって、大急ぎでお土産を物色していると

店先から何ともいえず香ばしいニオイが、漂ってきました。

二十歳代とおぼしきお兄さんが、せんべい、を焼いているのですが




なんと、カキをプレスしているではありませんか。

カキ、と言っても柿ではなくオイスターの方。

せんべい1枚につきカキ1個、というぜいたくさ。








たまらず買って、1枚をぬくぬくで食べてみました。

しなっとしています。

やや生臭い。

かきの内臓の、海草のような、干上がった礒のような臭いが立ち上って、

あまりおいしくなかったのですが、

これはぬくぬくを食べない方がよろしい。

家へ持って帰って、普通に箱から出して食べますと、たまらんウマい。

礒臭さ、から今度は生臭さが消えています。

かきの風味が強く立ち上って、シャクシャクと歯触り良く、

味も、名古屋の方の有名なえびのせんべい、名前は忘れましたが、あんなに濃く無く(あれはあれでウマいですが)

とてもあっさり。生地に主張がないのでしょう。礒の香り、1本勝負。

いくらでも食べられます。しかし1枚にカキ1粒なのでお値段もします1枚120円。

お店の名前は、備中倉敷瀬戸内庵。









倉敷に行かれたときのオススメです。











  


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2014年03月13日

倉敷行。2

11時に和歌山を出て、4時間半かかって辿り着いた倉敷の街。

おおはら美術館を観ているうちに、すでに辺りは夕暮れに近づいてきました。

こうしてはいられない。

何が、こうしてはいられないのか、と言いますと

倉敷の街並みである美観地区をまったく散策していないのであります。

美術館を出てとりあえずは蔵の街並の真ん中を流れる川の

橋のたもとに、よく絵葉書などに映り込んでいる白鳥を発見。







2羽確保。

これもよく絵葉書とかで見る緑瓦の家。激写。




済。次。アイビースクエア。




済。次。みやげ。

などと慌ただしいのです。

みやげ物屋も大原美術館の閉館に合わせて5時に閉まると思ったのです。

観光客の人影も疎らになってきました。


むらすずめ、ゲット。




むらすずめ、とはアンコを玉子と小麦の生地で挟んだ、昔ながらの岡山の定番お土産ですが




アンコ、ではきょうびやはり厳しいタタカいを強いられているのか進化して、

アンコはアンコでも、いちごミルク味、から始まって、いちごミルク、マスカット、

白桃、ピオーネ、抹茶などなど、さまざま女子ウケしそうなむらすずめが

籠にお好みでチョイスできるようになっていましたので

テキトーにチョイスして、後で車の中で白桃、を食べたのですが

白桃、と書かないとわからんなあ、という白桃主張の弱いものでありました。

これはでもまあ買っているときがクライマックス楽しい訳で

あとで土産にもらったり実食して「白桃の味がせん」。などと声を荒げるものでもないわけです。

後で知ったのですが、この美観地区には橘香堂、といううらすずめ一筋の由緒あるお店があって

そこはこのような七色の変化球も投げることなく清く正しく昔ながらの伝統の味を守っているようでありました。

しかし、わたくしの入ったこのお店は、むらすずめではトリッキーでありましたが

店先で、非常にめずらしいせんべい、を焼いているのでありました。





つづく\(-o-)/







  


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2014年03月12日

倉敷行。

週に1度の木曜日の休みは基本安息日、として

前の日は明け方まで本を読み耽ることで1週間の心の均衡を保っています。

しかしこのところは、春が近くなってきたということもあり

気持ちの底がざわざわと蠢いてどこかに出かけてしまいます。

朝早く起きて車を走らせると例えば7時、などに和歌山を出ますと

日帰りでも相当遠くにまで出かけることができるのですが

週イチのお休みの日に朝早く起きてどうこう、というのは

メンタリズム的にまったく無理。なので

10時頃、のっそら起きて、

夜のそう遅くない時間まで帰ってこられる範囲内で蠢きますので行動半径はたかだか知れています。


この日も朝11時に和歌山を出まして

とりあえずは北上し、大阪神戸を抜けてさらに車を西へ走らせました。

4時間くらい走って行けるとこまで行こ。

そう思いながら、阪和道・関空道・湾岸道・第二神明・加古川バイパス・姫路バイパスと、ずんがずんがと順調に進んでまいり

山陽道に突入し、ついには岡山を過ぎ、倉敷、の表示が出たところできっちり4時間。

時計の針は、午後3時を指していました。

この先には福山や尾道がありますが、これ以上進むと着いたら夕方で何にも見れません。

倉敷で手を打とう、ヒサビサにあの美観地区、でも見に行こうと、倉敷インターで高速を降りました。


倉敷に来たのは何十年ぶりでしょうか。子供の頃両親に連れられて大原美術館、などを見たキオクがありますが

それ以来なのかもっと来てるのか、自分の中で、同じような、彦根や長浜や高山や金沢や喜多方や

美観、をウリにしている街々のキオクとごっちゃになって、いつ来たのやら思い起こせないまま、

とりあえず車を止めて、美観地区へ。




倉敷の美観地区は彦根などもそうですが

電柱と電線が完全に地中化されて見えないのでやはり美しいです。

外国の、特にヨーロッパなどは特段観光地で無くとも電線は地中化されているらしく

風景がすっきりしているのですが、ニッポンの場合はどこを切り取って写真にしても

電柱電線が映り込んでしまうのですがそれがない。

空が、すっきりしています。




どこを映しても、絵になりますな。




まずははずせない大原美術館へ。




大原美術館は、実業家大原孫三郎が、洋画家児島虎次郎に託して収集した

西洋美術を中心とした日本で初めての美術館、だそうです。

日本で初めての美術館が倉敷であった、ちゅうのんもスゴイです。先見の明。

印象派やら写実派やらとかの思い入れがあったわけではなさそうで、

収集した結果がこれ。といったところなんでしょうがその画家たちが、有名どころばっかり。

モネにゴーギャン、ユトリロにロートレック、シャガールにエル・グレコ。

大都市の期間限定美術展、などではおそらく目玉にされるような絵画が、いっぱい。紅白のトリ全員集合、みたいなことになっていました。

時期もあるんでしょうが観賞客が少ない、というのも良いですね。押すな押すなされない。

モネの「睡蓮」とマンツーマン。あれやありがたしface03

東京大阪だと100人が猿団子のようになって土日など立ち止まらないでください

立ち止まらないでください、と急かされて、見た、という既成事実だけ作って退散、みたいなことはありません。

まん丸の、窓から見える街並みが、まあきれい。



この窓にも NO PHOTO と書かれてましたがこれは絵葉書なのでこらえてください。

大原美術館は本館に分館、それに工芸東洋館と児島虎次郎記念館の4つがセットになっていて





じっくり見ていたら日が暮れます。

と言うより、ホントに日が暮れてきた。

そらそーじょ。です。

高速を降りたのが3時で、それから市内の渋滞に巻き込まれて美観地区に着いたのが3時半。

絵画に見入っているうちに1時間が過ぎていました。


つづく(^_-)-☆









  


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2014年03月04日

幸福の木に花が咲いたよ。

うちの店の2階の事務所には、幸福の木、という、

どこにでもある観葉植物があります。

ちょうど私の座っている椅子のすぐ後ろ、南向きの日当たりのよろしい場所に

ずーっと昔、から鎮座しています。




私が東京から帰ってきてお店を継いだのがもうかれこれ20年以上前になりますが

この木はおそらくそれ以前からここに居たような気がします。

小さめの鉢に、はじめは私の胸のあたりの高さしかなかったものが

すくすくすく、と伸び続け、冬が終わる頃になると花を咲かせるようになりました。

2月、になると小さな茎が木の上部からにょきにょきにょきと伸び始め、

30㎝位まで伸び続けます。




そして3月の雛祭りの頃になると、夜に、真っ白な花を咲かせるのです。





初めて花が咲いたのは、7年前のことでした。

忘れもしません。その日はお店のストアコンピューターがトラブルを起こして

皆が帰った夜、コールセンターの男性と長い長い電話のやりとりをしていました。

これを直さないとあくる日の朝のレジが起動できない、という鬼気迫る状況で

電話の向こうのオペーレーターとの丁々発止のやり取りが続き

パソコンの専門用語を滝のように聞かされること2時間。

オペレーターの声がもはやありがたい念仏のように聞こえてきて半ばあきらめ

「もうええわ。どうでも」と投げやりになって電話を切ったとき

今までに嗅いだことのない、何とも言えない良い香りが漂っていることに気がつきました。

なんやこれは・・・・?

少し離れた、日本そばのチェーン店から香ばしい鰹節のニオいが漂ってきたり

隣の魚屋が夕刻捨てたであろう生ごみの臭いに辟易となる、ことはあっても

このような芳しい匂い、をかつて私は嗅いだことが無く、あまつさえ深夜のことなどで

窓は閉め切っており、匂いの源がわかりません。

この時点でまだ匂い、が私の背後1mに鎮座している幸福の木からのものであるとは思うだにせず

切った受話器を掴んだまましばらく、恍惚としておりました。

そして、暫くした後、これが幸福の木の花の匂い、であることを発見したのです。

(観葉植物にも花咲くんか・・・・)

私は、幸福の木の、丸い手鞠のような花弁に顔を近づけました。




花は、ピンポン玉大のひとかたまりで、それぞれに純白の花弁を咲かせ、

そのピンポン玉が7つ8つ、一斉に花開いています。

これは愛らしい。

しかしその香りたるや。

薔薇の香りのソープに、ライムを垂らしたような、

豊潤にして清楚、な香り。

花弁に鼻を押し当てると

脳髄に電流を浴びたようにクラクラ。

遠い遠いところに連れて行かれそうになりました。


あくる朝出勤すると、昨日開いていた花弁は閉ざされ、咲く前、の蕾の状態に戻っていました。

昨日の夜あれだけしとどに匂いを放った形跡はかけらも無く

私がスタッフに昨日の夜の開花を話しても皆訝しがるだけでありました。


2日目の夜、私は夕刻から、今日も開いてくれるか、と

わくわくしながら眺めていますと、夜7時、を回った頃から、

白いつまようじ、を半分に切った位の蕾が、ゆるゆると、開いてきました。

やがて9時を回る頃にはあらかた開花し、昨日と同じような芳しい香りを辺りにまき散らし始めたのです。




事務所の中は、昨日同様花の香りに包まれました。

花の香りに包まれて、私はまた恍惚となりました。

どうやらこの花は夜行性。月下美人、や宵待草のようないわゆる夜香木、という種類のようです。

2日連続でこの僥倖に与れるとは。

2日目の今日は、昨日とは少し香り、が変化しています。

昨日は清楚で清々しいかった香りが、豊潤にして濃厚な香りへと変化していました。

私は昨日同様、花弁に顔を近づけました。





昨日は一部、開いていない蕾も見受けられましたが、今日は、全開です。

むせかえる様な、強烈な香り。

今を盛りと咲く花たち。

そしてよく見れば、なんということでしょう。花弁の少し下の茎の部分に、透明な“蜜”さえたくわえているではありませんか。




これはもはや、これと似て非なるものがあるではないか。

霊長類ヒト科ヒト目。

我々の身の周りにわんさかいて、今を盛りと咲き誇る花たちよ。

鳴呼、今ひとたびの青春よ。

などとまあ良からぬ妄想をしてしまう、それほどまでに色香素晴らしく幸せに満ち満ちた、幸福の木の花でありました。


が、この幸福の木に花が咲く、という現象は

木、自体がかなりのストレスにさらされて、危機を感じて種の保存のために花をさかせているのであるよ、

などと書かれた専門家の意見を見つけてしまいました。

この辺もあくまで人間臭い。

我々も猛烈に精神的に疲弊し切った時などは

睡眠欲や食欲よりもむしろ、公序良俗によろしくないどす黒い本能だけがむき出しの電極のように火花を散らす、

などということがありました。

過去形です。


芳しい香りは、SOSであったのですね。

一度きちんと鉢から出して根をきれいにして

腐葉土などもいっぱい上げて、

いつまでも私とともにありますように。



























  


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2014年02月20日

淡路島のど根性水仙 5

灘黒岩郷の水仙に梅、を満喫して

崖の杣道を、普段の運動不足を呪いながら膝を打ち震わせ

漸く車までたどり着きました。


時刻はまだ3時半。少し陽が長くなったので、夕暮れまでまだ少しあります。

せっかくであるので、どこか淡路島で立ち寄るべきスポットは無いか、と

来た道をとって返しながら看板に目を凝らしていました。

淡路ワールドパークおのころ、の標識が見えます。

これは薄ぼんやり知識があって、たしかピサの斜塔やタージマハルなどの

世界的建造物をミニチュアにして、ガリバー気分を楽しめる、そのようなものであったか、などと

ほんのり想定するもののそれほど触手は動かず。

第一寒い。車の外気温表示は5℃、を指しています。

先ほど打ち震わせた膝問題、もあるのでこれ以上歩きたくない。

それではもう帰りにどこかのPAでも寄って、と、高速の入口を目指していると

「イングランドの丘」の看板が見えてきました。

おお。それはこの辺りであったか。

ここはもうはっきり知っていました。しかし何故かこのときの私の頭の片隅には

この選択肢は思い浮かばなかったので、不意を突かれた、ように思いました。

イングランドの丘、と言えば、コアラ、であります。

コアラちゃん。

私は幼少期に、父親が、どこで手に入れたのか、当時としてはめずらしい

コアラのぬいぐるみを私に与え、私は、男のくせに寝るときはこのぬいぐるみと常に一緒でした。

うちは商売をしているので、両親共に働きに働きづめで、

私が眠る頃両親は遠く離れた台所で食事をしており、

バイパスが出来る前の国道42号線に面して、車の車輪の路面擦過音が聞こえる畳敷きの部屋で、

眠りにつくまで、毎晩、様々やって来る魑魅魍魎との格闘がありました。

そして、怨霊退散の守り神として、両親の懐のぬくもりを、小さなコアラのぬいぐるみに委ねていました。

今でこそバイパスが出来てすっかり交通量も少なくなった旧国道ですが

当時は高度成長の真っただ中であり、紀南へ行くにはこのルート一つであったので

夜でも車の往来は引きも切りませんでした。

大きなトラックなどが通り過ぎる時の地鳴りのようなタイヤの音や、

不意に鳴る怪鳥の雄たけびのようなクラクションの渦の中で、

5歳の私はコアラのぬいぐるみを抱きしめ、小さな口角を、ひこひこわらわらと震わせて睡魔に負けるのを待っていました。


であるので、

ここでコアラ、と今ひとたびの邂逅、ということがあっても良いのではないか、と

脇道へ逸れ、イングランドの丘へと車を走らせました。


イングランドの丘は、住宅と畑が入り混じった丘陵地に、突然どすん、と現れました。



駐車場には、車は疎ら。

入口のゲート付近に人の姿がぽつん、ぽつんと見えますが、閑散としています。

入場券売り場の女の子に、「今の時期見るものはありますか」と聞きますと

ややきまりが悪そうな頬笑みを浮かべて「コアラと・・・・」と言いました。後が続きません。

パンフレットを広げて見ますと、広大な敷地の中に池があってグラスボートに乗れたり乗馬ができたりお花畑があったりと





季節を選んで来たらそれはもう半日十分遊べるくらいの充実したパークのようです。

しかし今は真冬2月の平日しかも気温5℃であり

この時期に見るものは。などと愚直な質問をするなよケハイでわかるやろう今は完全アウェイなんや、おっさん。と

言いたかったであろうにつまらんことを聞いた、とやや反省しながら園内へ入りました。



人が、おりません。

とりあえずは前へ前へと進んでいきますと、左手に温室があって、

ここだけはこの季節でも様々な花が咲き乱れているようでありましたので、入ってみました。

ぬくいのが、ありがたかった。

おわり。

ベゴニア、などに特段思い入れがあるわけではなく、何か、ハゲアタマ、的な名前の植物があったなあ、

と思いだすくらいで、特にカンドーすべきことはありませんでした。

温室を出て、寒さが一層沁みる素寒貧とした道をさらに前へ進むと

ありました。



おコアラ様の、お屋敷。

中に入りますとここだけは人がいました。

家族連れやらカップルやらが、ガラスの向こうのコアラを眺めていました。



コアラは、1匹やツガイ、ではなくて、何匹もいるようです。

止まり木、があってそこに寝ぐら兼えさ場、のような感じでユーカリのカタマリがあり、

コアラはそこに、1本の止まり木に1匹づつ、丸くなっています。

コアラ、動かず。

見物客も、言葉無し。

しかしコアラであるな、ということは確認できたので、「コアラを見た」という最低限の既成事実は成立し

見物客は皆出て行って、私一人になりました。

私も納得してその場を離れようとしたその時、私の目の前の止まり木のコアラが突然、丸めていた背中を伸ばしたかと思うと

ゆるゆるゆる、と動き出し、鉛のように黒光りして尖った爪を木の幹に立て

ユーカリの葉っぱを、食べ始めました。

もふ、もふ、もふ、と、温泉に入ったおじいさんが自分の顔を手拭いで拭うような緩慢さで、葉っぱを食べているのです。




しばらくすると、ユーカリを食べていたコアラが、今度はユーカリをくわえたまま、動かなくなりました。

ユーカリは、ベロのように半分口から出たままです

まぶたが、閉じていました。

ユーカリを食べながら眠ってしまったようです。

自然と、笑いが込み上げました。

くつくつくつと、誰もいない館内で笑い続ける私の横で

5歳の私が少し笑ったような気がしました。






























  


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2014年02月19日

淡路島のど根性水仙 4

風に向かって立つけなげな水仙群の中に、見事な白梅のひとかたまりがありました。




紀州みなべ、の梅林のように、ひと目○○万本、という訳にはまいりませんが

背景が高みからの海。というのが他に無いです。




青灰色の冬の海と、梅。

梅は、5分か7分咲き。

この週末くらい満開でしょうか。

これはぜひ、お出かけいただきたい。

などとるるぶ、のようになってきましたが、ここは本当に“梅見”の穴場です。

本数は少ないですけどコントラストが良いです。








  


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2014年02月18日

淡路島のど根性水仙 3

和歌山から途中小休止を含んで、3時間半でたどり着いた淡路島の、灘黒岩水仙郷。





水仙が咲き乱れているであろう崖の下にネコの額ほどの小さな駐車場があって

わたくしの車を先導するように走っていた、大型の観光バスが、警備員によって招き入れられました。

わたくしもバスに続いて入ろうとすると、お前はさらに先へ進め、と

赤い誘導等で来た道の先へ追いやられました。

? この先に一般の駐車場があるのかと思い、車を先へと進ませますが

左側が崖、右側が海、という景色が遥か彼方まで続いていて

車を止めるスペースは見当たりません。

1㌔ほど走って、これは地元の単なる通行車、と間違われたか、と気づき

来た道をとって返して、さっきバスが入って行った猫額駐車場の手前の路肩に車を止め、そこから100メートルほど歩いて、

猫額駐車場の上の、水仙郷の入口らしきところを目指しました。




先ほど私たちを誘導等でシッシした警備員の脇をすり抜け、猫額駐車場を過ぎた先の坂の上に、

大きな駐車場があって、たくさんの車が留まっています。




私たちだけが地元民に見えたのでしょうか。


大駐車場の上に、件の「水仙郷」が見えてきました。

断崖絶壁を縫うように、九十九折れになった路を、大勢の人々が登っていく姿が見えます。




登山口、というと大袈裟ですが登り口には、ご自由にお使いください、の杖が置かれています。

借りようかどうしようか、一瞬の逡巡。をした自分を少し心の中で恥じながら

一歩一歩、崖の杣路を登って行きました。


この日は曇天ながらも風はおだやかで

登るにつれて、風に飛ばされずに残った水仙の甘酸っぱい香りが辺りに薄っすら漂っています。

普段この辺りは海べりで風が強く、水仙の香りも風に煽られ飛ばされて、

このように立ちこめることはないのですよ、と団体客を引率しているバスガイドさん。

しかし麓近くの水仙は、つい幾日か前の雪の重みで、根元近くからすっかりなぎ倒されていました。




ああ少し悲しい光景であるな、と思いながらさらに歩を進め崖の高みに登るに連れ、雪に覆われなかった水仙が

海に向かって咲き誇り、青灰色の海の色と、見事なコントラストを描いています。






黒岩水仙は、江戸時代、付近に漂着した球根を近隣の住民が植えたのが始まり、だそうです。

海からなぜ水仙の球根が漂着したのか、など不思議です。

諭鶴羽山地が海に落ち込む海の断崖絶壁にありながら、びょうと吹き募る風に耐え、

細い枝をしなやかに揺らせている水仙。

この淡路島の南の端で、雪は想定外だったのでしょう。


続く\(-o-)/










  


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2014年02月18日

淡路島のど根性水仙 2

淡路島の、梅と水仙を愛でに車を走らせたわたくし。

淡路PAで一服してからは、神戸淡路鳴門道の快適なドライブが続きます。




左右に広がるやさしくたおやかな山並み。

ぽつん、ぽつんと散在する民家。玉ねぎ小屋。

景色にどことなくセピア、をかけたようで

正しいニッポンの原風景を見るようであります。

その景色の真ん中を走る高速道。

おそらく下に降りて高速の入りこんだ景色を見ると

そのようなノスタルジーもかき消されてしまうのうでしょうね。


神戸淡路鳴門道の最高速度制限は、100㌔。

ならば120㌔位まではおまわりさんも多めに見てくれるか、などと思う以前に、

車が走っていない。なんとも贅沢で快適なドライブです。


ナビが、三原で降りなさいよ。と言ってきました。





地道に降り、やや小高い丘陵地帯を20~30分を走ると、やがて目の前に海が広がりました。




淡路島の南の端の海岸線に出たようです。

小さな漁村。道いっぱいに迫る崖。

この辺りの景色はどことなく和歌山の加太辺りに似ているな、と思って見ていると

やや霞んだ海の向こうに、和歌山の住友金属の工場群。

その右隣に、あれやなつかし我が海南鋼管の2本の煙突が見えるではありませんか。

見えるではありませんか。ではなくちょっと下調べすれば地理的に見えるのは当たり前で

淡路島の南の端とわたくしたちの故郷は、紀淡海峡で、どうでしょう、直線で

30㌔位しか離れておらず、すぐそこに見えるのはトーゼンのことなのですね。

約3時間かけて、Ω型に、大迂回をしたわけですな。

損した。

いやいやそれしか道が無い。


そいえばまだ私が小さい頃、紀淡海峡大橋、などという、誰が走るんじゃ的夢物語の橋のお話があったことを思い出しました。


路肩に、水仙ラインの文字。




和歌山を出てから、途中休憩を挟みながら3時間半で、ついに、水仙郷へ着きました。





つづく\(-o-)/


  


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2014年02月17日

淡路島のど根性水仙 1

まだまだ寒い日が続いております。

南岸低気圧、の接近で、南国和歌山にも雪が積もったりして

春まだ遠し、のケハイですが、

目の前に屏風のように聳える藤白山は

春特有の、どことなくボウと霞んだ景色になってきました。


梅。を見に行こう。

そんなことを思ったことは今だかつて1回もありませんでした。

自分の心の一番底のあたりがもはやじじい化してきているのでしょうか。

夜桜を見に行って喧騒にまみれる、という欲求は徐々に遠のき

梅、を愛でたい。

ふくらみかけの、梅を愛でたい。

その柔らかな花弁に鼻腔を近づけたい。

まだ5分咲きの花弁をやや強引に押し開き

そして、立ち昇る控えめで甘やかな にほひ を

などと川上宗薫先生のような妄想に囚われた私は

みなべ、ではなく、淡路島へと車を走らせるのでした。


淡路島には、灘黒岩水仙郷、という有名な水仙の名所があって

500万株もの水仙が、眼下に海を望む崖に咲き乱れており

折しも今はその最盛期、でありますが

同様に、早咲きの梅も見事であると知人から伝え聞いた記憶が蘇りました。

海と水仙と梅。

良いではないか。

梅。だけでなく、水仙の花弁にも鼻をうずめることができるのです。

梅、は5分から7分咲き。のようです。

人間でいうと、18歳、くらいでありましょうか。

満開の水仙は25歳。

その花弁を にほふ。

うほほほほほ。


妄想に駆られたわたくしは、車を北へ北へと走らせました。


和歌山から阪和道を通って、湾岸から神戸を抜け



第二神明から神戸淡路鳴門道へ。長~いトンネルを抜けますと、




目の前に、明石海峡大橋が突然、どうだまいったか、と言わんばかりに現れます。




この突然感は、何回通ってもじわっと感動します。

オレンジ色の土管の中から、いきなり左右が海。眼下に貨物船。

季節が季節なら、窓を全開にして海峡の風を感じたいのですが、車の外気温計は6℃を指しておりましたので、景色だけを堪能して

淡路島に渡り、SAでいっぷく。明石海峡と橋を一望できます。




明石焼きと、淡路たまねぎ天ぷらを食べました。




この玉ねぎ天ぷらはことのほか玉ねぎ感が強く、とても美味でありましたが後々まで

しゃべる息の玉ねぎ臭が消えないので困ります。

これから18歳の梅と25歳の水仙の花弁をにほひに行かなければならないのに

玉ねぎ臭は相手に失礼です。



何を書いておるのか。

梅と水仙は後ほど。


つづく\(-o-)/


















  


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2014年02月14日

雪やこんこ。

顔ころころの誘惑 というタイトルで、立て続けに3本投稿いたしましたが、

チャームサロンカワサキ&フェイシャルクラブのブログと重複してしまって

ご迷惑をおかけしてしまいました。face06

顔ころころの誘惑 は、今後チャームサロンカワサキ&フェイシャルクラブの公式ブログだけにUPいたします。


雪。でありました。

朝、起きた瞬間から雪。





1週間前も積もって、また積もりました。





私が子供のころから、ですからもうかれこれ40有余年になりますが

このように、立て続けの南国和歌山雪まみれ、は初めてのように思います。




一番街商店街も真っ白。


何も申し合わせはしていないのに、フェイシャルクラブのスタッフと、

本店のスタッフが、雪だるまをつくって店の前へ飾ってました。




フェイシャルクラブの雪だるま。割り箸を炙って曲げたりと工夫が見られます。かわゆいです。




カワサキ本店の雪だるま。目玉が私の飲んだコーヒー アロマブラックのふたです。

フェイシャルクラブの勝ち。

雪だるまをつくる無邪気な気持ち、が かえらし ですな。


冷こいのによう雪らさらわして

などと言うとじじい化のはじまりですねface06




  


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2014年02月05日

海南に“春”よ来い

今年の冬はことのほか寒く、長期予報では北極の寒気団が何やら

歪んで張り出して、日本列島は厳しく寒い日が続くよ、と言われていて

事実2月に入ってもヤル気に満ちた寒気が居座っていて凍える日々。

一旦気温が上がりましたが本日も寒い寒い。


春よ早よ来いという思いも込めて、ヒサビサに書かせていただきます。


県立海南高校の、センバツ出場が、決まりました。

私の母校、であります。

50年ぶり。

1964年以来の快挙、であります。





しかし、決まったのは1月の24日で、10日も経って何をいまさら書きこんでおるのだ、

と訝しがられる向きもあろうかと思いますが、私は、今更ながらにでも、

海南がセンバツに出る、ということを声高に叫びたい。

なぜ、叫びたいか。

それは、町の、

まったく浮かれてません感

であります。

忘れもしません。

1月24日の夕刻、センバツ出場の一報がテレビで流れると、私は小躍りし、

商店街に飛び出しました。

商店街の店主は、海南高校OBが大勢います。

皆一様に、ヨロコンでいるのであろう。

きっと、町中が浮かれているだろう。

何しろ50年ぶり、な訳です。

吉報を聞き、皆歓喜し、抱擁し、万歳ばんざいを繰り返し、

市役所の防災無線からは臨時ニュースでセンバツ決定、が声高らかにアナウンスされ

それを聞いた市民がわらわらわらわらと町中に溢れ空には毎日放送のヘリが舞い

市長が咆え鼓笛隊が通り花火は打ちあがり

街中は祝福の紙吹雪。とまでは行かないにしても

何がしかの、ヨロコビの共有、を期待して、街路に出てみました。

しかし、であります。

商店街は素寒貧として、人一人通らず。誰も店からまろび出ても来ず。

防災無線も、押し黙ったまま。

夕刻「子供たちが帰るので安全確保にご協力ください」と、いつもながらの

録音テープを流すだけでありました。

おめでたいのは自分だけであったようで。


なんか、もっと、こう・・・ねぇface07


  


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2013年04月12日

そうだ 京都、行こう。 3

和歌山の桜はもう完膚無きまでに散ってしまっているのに

今頃桜のお話、というのもどうにもマヌケですが

来年のご参考、にでもしてください。

とっておきの桜をご紹介しますね。


京都の山科、に、醍醐寺、というこれはもう覚え目出たい桜の古刹があります。

石清水八幡宮の500段の階段でふとももがすっかり萎えてしまいまして

ゆるり、とアクセルを踏んでもその踏み加減、の調整がつかない体たらくで

それでも30分かけて、ようよう醍醐寺に辿り着きました。

醍醐寺は平安時代から「花の醍醐」と呼ばれるほどの名所であったものに

豊臣秀吉が自分が花見に行くのに

事前に桜を700本も植えさせた、という逸話があります。


門前にはややソメイヨシノよりもやや濃いめの色合い艶やかな

しだれ桜があって、いきなり驚かされます。





まずここで見物客は驚く、というのが一つの通過儀礼となっているようで

私たちもここで正しく驚き、参道へと向かいました。


総門、と呼ばれる山門越しに、参道の桜並木が見えてきます。

これがまたえらいこと、きれい。





若草がほめき立つ山科の山稜を借景に、参道の左右に

あおい空を覆い隠さん、とでもするかのように

ソメイヨシノの枝ぶりがたおやかに伸びています。

満開は満開でも散りそめ一歩手前でしょうか。

桜の花びらが折からの風にあおられて、たゆたゆたゆと

肩に触れ足元に舞い、前を行くおじいさんのハゲ頭に付着し

花弁はまるで桜の木が生み出した小さな子どもたちの卵が一斉に孵化したように

中空を踊り遊んでいます。





長い参道の先には仁王門があって、そこを抜けると気配はがらりと変わります。

立派な五重の塔が見えてきました。





京都や奈良のお寺にはかなりの確率で五重の塔があります。

五重の塔、があるとお寺は一気にリッパに見えますな。

地方からやってくる観光客のミゾオチに、ずしん、と来る。

五重の塔を過ぎても、参道はさらに奥へ奥へと続きます。

いくつものお堂が散在し、そのお堂の入り口や参道の両側には

秀吉公の家紋、五七の桐、が見目艶やかに染め抜かれた幕が張られています。





それはまあ平安の昔から有名であった花の寺、醍醐寺を

イッキに名にしおう名刹へと導いてくれたのですからむべなるかな。

今でも4月の第二日曜に「豊太閤花見行列」が催され大勢の人で賑わうらしいですが

今年の桜も早いのでどうなりますやら。





弁天堂、観音堂、女人堂と、いくつものお堂を過ぎると、

それまでの堂宇と打って変わって、やや大ぶりで、

観光客の出入りの激しいお堂がありました。





このお堂が西国11番の札所になっていて、大勢の人がいわゆるご朱印、を押してもらっています。

私はおよそこのような熱い信仰とは無縁の世界に生きていて

さまざまな罪穢れが纏わりついているはずであるので

このような機会にひとつ無理を頼んで

額の中央にでも、力強くこのご朱印を打ちこんでもらわねば。


着た道をとって返し、石清水八幡宮の500段の石段で

鉛のように重くなったふとももをさすりさすり

長い境内を、ふたたび桜一色の参道へ戻ってきました。

時刻は4時。参道は、まだまだ人が溢れています。





歩きながらスマホやらケータイをかざしている人が多いので危ない危ない。

タブレット端末をかざして突進してくるのもいます。


外国からの観光客が多いのも京都ならでは。

中でも東南アジアの皆さんが、多いようです。

欧米のグループが、総門の入り口から桜並木を見て一言、

「ゴージャス!」とカンドウしています。

ゴージャス、ゴージャスの連発でうるさいのなんの。

このあたり日本人の感覚と明らかに違いますね。


昨今さくらをタイトルにつけた楽曲が巷にあふれていますが

日本古来よりの「さくらさくら」の、君が代、にも似た和の旋律を聴くまでもなく

桜、の、薄紅色ともまたちがう

白、にあるかないかの紅を含ませたほのかな色立ち、

さらにここへ黒の墨汁も、一雫落としたような佇まいを

ゴージャスとは言ってほしくない、ですな。

でも日本人も花見しますからね。

夜桜で花見をして、大騒ぎをするので、

大したことは言えませんか。





桜は、匂いませんからね。

まったくの、無味無臭。

無味、ということはないですがとにかく無臭。

梅の花は、すっぱ甘い良い香りがします。

それに実がなります。

花持ちも良くて、なかなか散りません。

梅は、実体感がある。

桜は、花の季節だけちやほやされて

それも、パッと咲いてパッと散る。

それ以外の季節は、立派な桜並木があっても

それが桜であることを誰もが忘れているのです。


日本人は、桜を

自分自身に投影しているのでしょうか。






それにつけてもフトモモの痛さよ。

20代や30代の頃は

これくらいのアスレチックで足などピンシャンしていたのに。

もう一度、あのころの強靭な肉体と猛々しさを。

7分咲きころの私に戻って、今ひとたびの・・・・



















  


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2013年04月09日

そうだ 京都、行こう。2

京都の桜、はエラい気がします。

これは、桜が有名な神社仏閣とセットになっているからで、

単に桜だけで良ければ近所の河原や公園に行けばニッポン中どこでもお花見を楽しめるのですが

清水寺や南禅寺に桜、というだけで、かしこまってしまいます。


京都へは、第二京阪が出来たので速い速い。

和歌山から1時間20分ほどで、この日最初の目的地、八幡市の「石清水八幡宮」に着きました。

「石清水八幡宮」は、いわしみずはちまんぐう、と読みまして

名前は薄ぼんやり知っていたのですがどこにあるかも桜の名所であることも知りませんでした。

PCで、京都・桜 で検索して、MAPPLEの桜開花情報を見ると一番最初に出てきて、

朱塗りの境内と桜のコントラストが見事であったので

やや変化球気味に、今回攻めてみました。


京都郊外の住宅街を貫く幹線道路の先にあった、石清水八幡宮。





極彩色の幟の奥に、朱塗りの本殿が青空に映えています。きれいです。

桜は、もちろんありました。こちらも見事です。





しかしやや残念であったのは、お社と桜が切り離されていて

桜は神社の横の広場にあったことです。

そして、大いに残念であったのは、この広場が駐車場であり

ここに駐車場があることを知らずに私は石段を500段上がってきた、ということでありました。

普段、100メートル先へ行くのにも

バイクを使っているわたくしの太モモは、

石段を100段も上がったあたりで悲鳴を上げ始め

200段を越えたあたりで、息も絶え絶えになり

300段を越えたところで、散り染めの桜の花びらが舞う中で

完全に動けなくなりました。


桜吹雪で、遭難。


いえいえただの筋肉痛ですね。





でも、石段を登ったおかげで、大山崎辺りの景色を高みから見ることもできましたし





参道の途中にある石柱で瞑想する哲学的な猫にも出会いました。









  


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