2014年03月17日
哲学の道。
桜、というのは満開か、今度の雨風で散るかも、という頃合いが一番きれいですね。
京都は東山の、哲学の道、は、それよりもう少し時間が経った、散り染め、の頃が良いのです。

この小径の真ん中に、琵琶湖疏水、という小さな小川のような堰が流れていて、
この堰に花びらがはらはらと舞い落ちて、水面が桜で覆われます。

時には、水面がかくれるくらいの花びらで、埋め尽くされます。

はらはらと舞い落ちた花びらは、ゆるゆるとした水流に流されていくのですが

その様はまるで花びらの筏(いかだ)のようで、“花筏”などと呼ばれ、
京都を代表する桜の名所になっています。
花びらの数と同じくらいの観光客でごった返すのでその辺りの覚悟、も必要ですが。
哲学の道へは、京都駅から市バス5、17、100番で銀閣寺道下車、
車だと和歌山から近畿道~第二京阪経由で、久御山ジャンクションを突っ切って
阪神高速京都線の鴨川東、で降りて1時間40分ほど。
第二京阪のおかげで京都がグッと近くなった
4月に入って、満開を少し過ぎたあたりに出かけてみるのが良いですね

京都は東山の、哲学の道、は、それよりもう少し時間が経った、散り染め、の頃が良いのです。

この小径の真ん中に、琵琶湖疏水、という小さな小川のような堰が流れていて、
この堰に花びらがはらはらと舞い落ちて、水面が桜で覆われます。

時には、水面がかくれるくらいの花びらで、埋め尽くされます。

はらはらと舞い落ちた花びらは、ゆるゆるとした水流に流されていくのですが

その様はまるで花びらの筏(いかだ)のようで、“花筏”などと呼ばれ、
京都を代表する桜の名所になっています。
花びらの数と同じくらいの観光客でごった返すのでその辺りの覚悟、も必要ですが。
哲学の道へは、京都駅から市バス5、17、100番で銀閣寺道下車、
車だと和歌山から近畿道~第二京阪経由で、久御山ジャンクションを突っ切って
阪神高速京都線の鴨川東、で降りて1時間40分ほど。
第二京阪のおかげで京都がグッと近くなった

4月に入って、満開を少し過ぎたあたりに出かけてみるのが良いですね


2014年03月14日
倉敷行 3.
3時半に着いた倉敷美観地区。
大原美術館を観てすっかり夕方になってしまって、大急ぎでお土産を物色していると
店先から何ともいえず香ばしいニオイが、漂ってきました。
二十歳代とおぼしきお兄さんが、せんべい、を焼いているのですが

なんと、カキをプレスしているではありませんか。
カキ、と言っても柿ではなくオイスターの方。
せんべい1枚につきカキ1個、というぜいたくさ。


たまらず買って、1枚をぬくぬくで食べてみました。
しなっとしています。
やや生臭い。
かきの内臓の、海草のような、干上がった礒のような臭いが立ち上って、
あまりおいしくなかったのですが、
これはぬくぬくを食べない方がよろしい。
家へ持って帰って、普通に箱から出して食べますと、たまらんウマい。
礒臭さ、から今度は生臭さが消えています。
かきの風味が強く立ち上って、シャクシャクと歯触り良く、
味も、名古屋の方の有名なえびのせんべい、名前は忘れましたが、あんなに濃く無く(あれはあれでウマいですが)
とてもあっさり。生地に主張がないのでしょう。礒の香り、1本勝負。
いくらでも食べられます。しかし1枚にカキ1粒なのでお値段もします1枚120円。
お店の名前は、備中倉敷瀬戸内庵。



倉敷に行かれたときのオススメです。



大原美術館を観てすっかり夕方になってしまって、大急ぎでお土産を物色していると
店先から何ともいえず香ばしいニオイが、漂ってきました。
二十歳代とおぼしきお兄さんが、せんべい、を焼いているのですが

なんと、カキをプレスしているではありませんか。
カキ、と言っても柿ではなくオイスターの方。
せんべい1枚につきカキ1個、というぜいたくさ。


たまらず買って、1枚をぬくぬくで食べてみました。
しなっとしています。
やや生臭い。
かきの内臓の、海草のような、干上がった礒のような臭いが立ち上って、
あまりおいしくなかったのですが、
これはぬくぬくを食べない方がよろしい。
家へ持って帰って、普通に箱から出して食べますと、たまらんウマい。
礒臭さ、から今度は生臭さが消えています。
かきの風味が強く立ち上って、シャクシャクと歯触り良く、
味も、名古屋の方の有名なえびのせんべい、名前は忘れましたが、あんなに濃く無く(あれはあれでウマいですが)
とてもあっさり。生地に主張がないのでしょう。礒の香り、1本勝負。
いくらでも食べられます。しかし1枚にカキ1粒なのでお値段もします1枚120円。
お店の名前は、備中倉敷瀬戸内庵。



倉敷に行かれたときのオススメです。



2014年03月13日
倉敷行。2
11時に和歌山を出て、4時間半かかって辿り着いた倉敷の街。
おおはら美術館を観ているうちに、すでに辺りは夕暮れに近づいてきました。
こうしてはいられない。
何が、こうしてはいられないのか、と言いますと
倉敷の街並みである美観地区をまったく散策していないのであります。
美術館を出てとりあえずは蔵の街並の真ん中を流れる川の
橋のたもとに、よく絵葉書などに映り込んでいる白鳥を発見。


2羽確保。
これもよく絵葉書とかで見る緑瓦の家。激写。

済。次。アイビースクエア。

済。次。みやげ。
などと慌ただしいのです。
みやげ物屋も大原美術館の閉館に合わせて5時に閉まると思ったのです。
観光客の人影も疎らになってきました。
むらすずめ、ゲット。

むらすずめ、とはアンコを玉子と小麦の生地で挟んだ、昔ながらの岡山の定番お土産ですが

アンコ、ではきょうびやはり厳しいタタカいを強いられているのか進化して、
アンコはアンコでも、いちごミルク味、から始まって、いちごミルク、マスカット、
白桃、ピオーネ、抹茶などなど、さまざま女子ウケしそうなむらすずめが
籠にお好みでチョイスできるようになっていましたので
テキトーにチョイスして、後で車の中で白桃、を食べたのですが
白桃、と書かないとわからんなあ、という白桃主張の弱いものでありました。
これはでもまあ買っているときがクライマックス楽しい訳で
あとで土産にもらったり実食して「白桃の味がせん」。などと声を荒げるものでもないわけです。
後で知ったのですが、この美観地区には橘香堂、といううらすずめ一筋の由緒あるお店があって
そこはこのような七色の変化球も投げることなく清く正しく昔ながらの伝統の味を守っているようでありました。
しかし、わたくしの入ったこのお店は、むらすずめではトリッキーでありましたが
店先で、非常にめずらしいせんべい、を焼いているのでありました。

つづく\(-o-)/
おおはら美術館を観ているうちに、すでに辺りは夕暮れに近づいてきました。
こうしてはいられない。
何が、こうしてはいられないのか、と言いますと
倉敷の街並みである美観地区をまったく散策していないのであります。
美術館を出てとりあえずは蔵の街並の真ん中を流れる川の
橋のたもとに、よく絵葉書などに映り込んでいる白鳥を発見。


2羽確保。
これもよく絵葉書とかで見る緑瓦の家。激写。

済。次。アイビースクエア。

済。次。みやげ。
などと慌ただしいのです。
みやげ物屋も大原美術館の閉館に合わせて5時に閉まると思ったのです。
観光客の人影も疎らになってきました。
むらすずめ、ゲット。

むらすずめ、とはアンコを玉子と小麦の生地で挟んだ、昔ながらの岡山の定番お土産ですが

アンコ、ではきょうびやはり厳しいタタカいを強いられているのか進化して、
アンコはアンコでも、いちごミルク味、から始まって、いちごミルク、マスカット、
白桃、ピオーネ、抹茶などなど、さまざま女子ウケしそうなむらすずめが
籠にお好みでチョイスできるようになっていましたので
テキトーにチョイスして、後で車の中で白桃、を食べたのですが
白桃、と書かないとわからんなあ、という白桃主張の弱いものでありました。
これはでもまあ買っているときがクライマックス楽しい訳で
あとで土産にもらったり実食して「白桃の味がせん」。などと声を荒げるものでもないわけです。
後で知ったのですが、この美観地区には橘香堂、といううらすずめ一筋の由緒あるお店があって
そこはこのような七色の変化球も投げることなく清く正しく昔ながらの伝統の味を守っているようでありました。
しかし、わたくしの入ったこのお店は、むらすずめではトリッキーでありましたが
店先で、非常にめずらしいせんべい、を焼いているのでありました。

つづく\(-o-)/
2014年03月12日
倉敷行。
週に1度の木曜日の休みは基本安息日、として
前の日は明け方まで本を読み耽ることで1週間の心の均衡を保っています。
しかしこのところは、春が近くなってきたということもあり
気持ちの底がざわざわと蠢いてどこかに出かけてしまいます。
朝早く起きて車を走らせると例えば7時、などに和歌山を出ますと
日帰りでも相当遠くにまで出かけることができるのですが
週イチのお休みの日に朝早く起きてどうこう、というのは
メンタリズム的にまったく無理。なので
10時頃、のっそら起きて、
夜のそう遅くない時間まで帰ってこられる範囲内で蠢きますので行動半径はたかだか知れています。
この日も朝11時に和歌山を出まして
とりあえずは北上し、大阪神戸を抜けてさらに車を西へ走らせました。
4時間くらい走って行けるとこまで行こ。
そう思いながら、阪和道・関空道・湾岸道・第二神明・加古川バイパス・姫路バイパスと、ずんがずんがと順調に進んでまいり
山陽道に突入し、ついには岡山を過ぎ、倉敷、の表示が出たところできっちり4時間。
時計の針は、午後3時を指していました。
この先には福山や尾道がありますが、これ以上進むと着いたら夕方で何にも見れません。
倉敷で手を打とう、ヒサビサにあの美観地区、でも見に行こうと、倉敷インターで高速を降りました。
倉敷に来たのは何十年ぶりでしょうか。子供の頃両親に連れられて大原美術館、などを見たキオクがありますが
それ以来なのかもっと来てるのか、自分の中で、同じような、彦根や長浜や高山や金沢や喜多方や
美観、をウリにしている街々のキオクとごっちゃになって、いつ来たのやら思い起こせないまま、
とりあえず車を止めて、美観地区へ。

倉敷の美観地区は彦根などもそうですが
電柱と電線が完全に地中化されて見えないのでやはり美しいです。
外国の、特にヨーロッパなどは特段観光地で無くとも電線は地中化されているらしく
風景がすっきりしているのですが、ニッポンの場合はどこを切り取って写真にしても
電柱電線が映り込んでしまうのですがそれがない。
空が、すっきりしています。

どこを映しても、絵になりますな。

まずははずせない大原美術館へ。

大原美術館は、実業家大原孫三郎が、洋画家児島虎次郎に託して収集した
西洋美術を中心とした日本で初めての美術館、だそうです。
日本で初めての美術館が倉敷であった、ちゅうのんもスゴイです。先見の明。
印象派やら写実派やらとかの思い入れがあったわけではなさそうで、
収集した結果がこれ。といったところなんでしょうがその画家たちが、有名どころばっかり。
モネにゴーギャン、ユトリロにロートレック、シャガールにエル・グレコ。
大都市の期間限定美術展、などではおそらく目玉にされるような絵画が、いっぱい。紅白のトリ全員集合、みたいなことになっていました。
時期もあるんでしょうが観賞客が少ない、というのも良いですね。押すな押すなされない。
モネの「睡蓮」とマンツーマン。あれやありがたし
東京大阪だと100人が猿団子のようになって土日など立ち止まらないでください
立ち止まらないでください、と急かされて、見た、という既成事実だけ作って退散、みたいなことはありません。
まん丸の、窓から見える街並みが、まあきれい。

この窓にも NO PHOTO と書かれてましたがこれは絵葉書なのでこらえてください。
大原美術館は本館に分館、それに工芸東洋館と児島虎次郎記念館の4つがセットになっていて

じっくり見ていたら日が暮れます。
と言うより、ホントに日が暮れてきた。
そらそーじょ。です。
高速を降りたのが3時で、それから市内の渋滞に巻き込まれて美観地区に着いたのが3時半。
絵画に見入っているうちに1時間が過ぎていました。
つづく(^_-)-☆
前の日は明け方まで本を読み耽ることで1週間の心の均衡を保っています。
しかしこのところは、春が近くなってきたということもあり
気持ちの底がざわざわと蠢いてどこかに出かけてしまいます。
朝早く起きて車を走らせると例えば7時、などに和歌山を出ますと
日帰りでも相当遠くにまで出かけることができるのですが
週イチのお休みの日に朝早く起きてどうこう、というのは
メンタリズム的にまったく無理。なので
10時頃、のっそら起きて、
夜のそう遅くない時間まで帰ってこられる範囲内で蠢きますので行動半径はたかだか知れています。
この日も朝11時に和歌山を出まして
とりあえずは北上し、大阪神戸を抜けてさらに車を西へ走らせました。
4時間くらい走って行けるとこまで行こ。
そう思いながら、阪和道・関空道・湾岸道・第二神明・加古川バイパス・姫路バイパスと、ずんがずんがと順調に進んでまいり
山陽道に突入し、ついには岡山を過ぎ、倉敷、の表示が出たところできっちり4時間。
時計の針は、午後3時を指していました。
この先には福山や尾道がありますが、これ以上進むと着いたら夕方で何にも見れません。
倉敷で手を打とう、ヒサビサにあの美観地区、でも見に行こうと、倉敷インターで高速を降りました。
倉敷に来たのは何十年ぶりでしょうか。子供の頃両親に連れられて大原美術館、などを見たキオクがありますが
それ以来なのかもっと来てるのか、自分の中で、同じような、彦根や長浜や高山や金沢や喜多方や
美観、をウリにしている街々のキオクとごっちゃになって、いつ来たのやら思い起こせないまま、
とりあえず車を止めて、美観地区へ。

倉敷の美観地区は彦根などもそうですが
電柱と電線が完全に地中化されて見えないのでやはり美しいです。
外国の、特にヨーロッパなどは特段観光地で無くとも電線は地中化されているらしく
風景がすっきりしているのですが、ニッポンの場合はどこを切り取って写真にしても
電柱電線が映り込んでしまうのですがそれがない。
空が、すっきりしています。

どこを映しても、絵になりますな。

まずははずせない大原美術館へ。

大原美術館は、実業家大原孫三郎が、洋画家児島虎次郎に託して収集した
西洋美術を中心とした日本で初めての美術館、だそうです。
日本で初めての美術館が倉敷であった、ちゅうのんもスゴイです。先見の明。
印象派やら写実派やらとかの思い入れがあったわけではなさそうで、
収集した結果がこれ。といったところなんでしょうがその画家たちが、有名どころばっかり。
モネにゴーギャン、ユトリロにロートレック、シャガールにエル・グレコ。
大都市の期間限定美術展、などではおそらく目玉にされるような絵画が、いっぱい。紅白のトリ全員集合、みたいなことになっていました。
時期もあるんでしょうが観賞客が少ない、というのも良いですね。押すな押すなされない。
モネの「睡蓮」とマンツーマン。あれやありがたし

東京大阪だと100人が猿団子のようになって土日など立ち止まらないでください
立ち止まらないでください、と急かされて、見た、という既成事実だけ作って退散、みたいなことはありません。
まん丸の、窓から見える街並みが、まあきれい。

この窓にも NO PHOTO と書かれてましたがこれは絵葉書なのでこらえてください。
大原美術館は本館に分館、それに工芸東洋館と児島虎次郎記念館の4つがセットになっていて

じっくり見ていたら日が暮れます。
と言うより、ホントに日が暮れてきた。
そらそーじょ。です。
高速を降りたのが3時で、それから市内の渋滞に巻き込まれて美観地区に着いたのが3時半。
絵画に見入っているうちに1時間が過ぎていました。
つづく(^_-)-☆
2014年03月04日
幸福の木に花が咲いたよ。
うちの店の2階の事務所には、幸福の木、という、
どこにでもある観葉植物があります。
ちょうど私の座っている椅子のすぐ後ろ、南向きの日当たりのよろしい場所に
ずーっと昔、から鎮座しています。

私が東京から帰ってきてお店を継いだのがもうかれこれ20年以上前になりますが
この木はおそらくそれ以前からここに居たような気がします。
小さめの鉢に、はじめは私の胸のあたりの高さしかなかったものが
すくすくすく、と伸び続け、冬が終わる頃になると花を咲かせるようになりました。
2月、になると小さな茎が木の上部からにょきにょきにょきと伸び始め、
30㎝位まで伸び続けます。

そして3月の雛祭りの頃になると、夜に、真っ白な花を咲かせるのです。

初めて花が咲いたのは、7年前のことでした。
忘れもしません。その日はお店のストアコンピューターがトラブルを起こして
皆が帰った夜、コールセンターの男性と長い長い電話のやりとりをしていました。
これを直さないとあくる日の朝のレジが起動できない、という鬼気迫る状況で
電話の向こうのオペーレーターとの丁々発止のやり取りが続き
パソコンの専門用語を滝のように聞かされること2時間。
オペレーターの声がもはやありがたい念仏のように聞こえてきて半ばあきらめ
「もうええわ。どうでも」と投げやりになって電話を切ったとき
今までに嗅いだことのない、何とも言えない良い香りが漂っていることに気がつきました。
なんやこれは・・・・?
少し離れた、日本そばのチェーン店から香ばしい鰹節のニオいが漂ってきたり
隣の魚屋が夕刻捨てたであろう生ごみの臭いに辟易となる、ことはあっても
このような芳しい匂い、をかつて私は嗅いだことが無く、あまつさえ深夜のことなどで
窓は閉め切っており、匂いの源がわかりません。
この時点でまだ匂い、が私の背後1mに鎮座している幸福の木からのものであるとは思うだにせず
切った受話器を掴んだまましばらく、恍惚としておりました。
そして、暫くした後、これが幸福の木の花の匂い、であることを発見したのです。
(観葉植物にも花咲くんか・・・・)
私は、幸福の木の、丸い手鞠のような花弁に顔を近づけました。

花は、ピンポン玉大のひとかたまりで、それぞれに純白の花弁を咲かせ、
そのピンポン玉が7つ8つ、一斉に花開いています。
これは愛らしい。
しかしその香りたるや。
薔薇の香りのソープに、ライムを垂らしたような、
豊潤にして清楚、な香り。
花弁に鼻を押し当てると
脳髄に電流を浴びたようにクラクラ。
遠い遠いところに連れて行かれそうになりました。
あくる朝出勤すると、昨日開いていた花弁は閉ざされ、咲く前、の蕾の状態に戻っていました。
昨日の夜あれだけしとどに匂いを放った形跡はかけらも無く
私がスタッフに昨日の夜の開花を話しても皆訝しがるだけでありました。
2日目の夜、私は夕刻から、今日も開いてくれるか、と
わくわくしながら眺めていますと、夜7時、を回った頃から、
白いつまようじ、を半分に切った位の蕾が、ゆるゆると、開いてきました。
やがて9時を回る頃にはあらかた開花し、昨日と同じような芳しい香りを辺りにまき散らし始めたのです。

事務所の中は、昨日同様花の香りに包まれました。
花の香りに包まれて、私はまた恍惚となりました。
どうやらこの花は夜行性。月下美人、や宵待草のようないわゆる夜香木、という種類のようです。
2日連続でこの僥倖に与れるとは。
2日目の今日は、昨日とは少し香り、が変化しています。
昨日は清楚で清々しいかった香りが、豊潤にして濃厚な香りへと変化していました。
私は昨日同様、花弁に顔を近づけました。

昨日は一部、開いていない蕾も見受けられましたが、今日は、全開です。
むせかえる様な、強烈な香り。
今を盛りと咲く花たち。
そしてよく見れば、なんということでしょう。花弁の少し下の茎の部分に、透明な“蜜”さえたくわえているではありませんか。

これはもはや、これと似て非なるものがあるではないか。
霊長類ヒト科ヒト目。
我々の身の周りにわんさかいて、今を盛りと咲き誇る花たちよ。
鳴呼、今ひとたびの青春よ。
などとまあ良からぬ妄想をしてしまう、それほどまでに色香素晴らしく幸せに満ち満ちた、幸福の木の花でありました。
が、この幸福の木に花が咲く、という現象は
木、自体がかなりのストレスにさらされて、危機を感じて種の保存のために花をさかせているのであるよ、
などと書かれた専門家の意見を見つけてしまいました。
この辺もあくまで人間臭い。
我々も猛烈に精神的に疲弊し切った時などは
睡眠欲や食欲よりもむしろ、公序良俗によろしくないどす黒い本能だけがむき出しの電極のように火花を散らす、
などということがありました。
過去形です。
芳しい香りは、SOSであったのですね。
一度きちんと鉢から出して根をきれいにして
腐葉土などもいっぱい上げて、
いつまでも私とともにありますように。
どこにでもある観葉植物があります。
ちょうど私の座っている椅子のすぐ後ろ、南向きの日当たりのよろしい場所に
ずーっと昔、から鎮座しています。

私が東京から帰ってきてお店を継いだのがもうかれこれ20年以上前になりますが
この木はおそらくそれ以前からここに居たような気がします。
小さめの鉢に、はじめは私の胸のあたりの高さしかなかったものが
すくすくすく、と伸び続け、冬が終わる頃になると花を咲かせるようになりました。
2月、になると小さな茎が木の上部からにょきにょきにょきと伸び始め、
30㎝位まで伸び続けます。

そして3月の雛祭りの頃になると、夜に、真っ白な花を咲かせるのです。

初めて花が咲いたのは、7年前のことでした。
忘れもしません。その日はお店のストアコンピューターがトラブルを起こして
皆が帰った夜、コールセンターの男性と長い長い電話のやりとりをしていました。
これを直さないとあくる日の朝のレジが起動できない、という鬼気迫る状況で
電話の向こうのオペーレーターとの丁々発止のやり取りが続き
パソコンの専門用語を滝のように聞かされること2時間。
オペレーターの声がもはやありがたい念仏のように聞こえてきて半ばあきらめ
「もうええわ。どうでも」と投げやりになって電話を切ったとき
今までに嗅いだことのない、何とも言えない良い香りが漂っていることに気がつきました。
なんやこれは・・・・?
少し離れた、日本そばのチェーン店から香ばしい鰹節のニオいが漂ってきたり
隣の魚屋が夕刻捨てたであろう生ごみの臭いに辟易となる、ことはあっても
このような芳しい匂い、をかつて私は嗅いだことが無く、あまつさえ深夜のことなどで
窓は閉め切っており、匂いの源がわかりません。
この時点でまだ匂い、が私の背後1mに鎮座している幸福の木からのものであるとは思うだにせず
切った受話器を掴んだまましばらく、恍惚としておりました。
そして、暫くした後、これが幸福の木の花の匂い、であることを発見したのです。
(観葉植物にも花咲くんか・・・・)
私は、幸福の木の、丸い手鞠のような花弁に顔を近づけました。

花は、ピンポン玉大のひとかたまりで、それぞれに純白の花弁を咲かせ、
そのピンポン玉が7つ8つ、一斉に花開いています。
これは愛らしい。
しかしその香りたるや。
薔薇の香りのソープに、ライムを垂らしたような、
豊潤にして清楚、な香り。
花弁に鼻を押し当てると
脳髄に電流を浴びたようにクラクラ。
遠い遠いところに連れて行かれそうになりました。
あくる朝出勤すると、昨日開いていた花弁は閉ざされ、咲く前、の蕾の状態に戻っていました。
昨日の夜あれだけしとどに匂いを放った形跡はかけらも無く
私がスタッフに昨日の夜の開花を話しても皆訝しがるだけでありました。
2日目の夜、私は夕刻から、今日も開いてくれるか、と
わくわくしながら眺めていますと、夜7時、を回った頃から、
白いつまようじ、を半分に切った位の蕾が、ゆるゆると、開いてきました。
やがて9時を回る頃にはあらかた開花し、昨日と同じような芳しい香りを辺りにまき散らし始めたのです。

事務所の中は、昨日同様花の香りに包まれました。
花の香りに包まれて、私はまた恍惚となりました。
どうやらこの花は夜行性。月下美人、や宵待草のようないわゆる夜香木、という種類のようです。
2日連続でこの僥倖に与れるとは。
2日目の今日は、昨日とは少し香り、が変化しています。
昨日は清楚で清々しいかった香りが、豊潤にして濃厚な香りへと変化していました。
私は昨日同様、花弁に顔を近づけました。

昨日は一部、開いていない蕾も見受けられましたが、今日は、全開です。
むせかえる様な、強烈な香り。
今を盛りと咲く花たち。
そしてよく見れば、なんということでしょう。花弁の少し下の茎の部分に、透明な“蜜”さえたくわえているではありませんか。

これはもはや、これと似て非なるものがあるではないか。
霊長類ヒト科ヒト目。
我々の身の周りにわんさかいて、今を盛りと咲き誇る花たちよ。
鳴呼、今ひとたびの青春よ。
などとまあ良からぬ妄想をしてしまう、それほどまでに色香素晴らしく幸せに満ち満ちた、幸福の木の花でありました。
が、この幸福の木に花が咲く、という現象は
木、自体がかなりのストレスにさらされて、危機を感じて種の保存のために花をさかせているのであるよ、
などと書かれた専門家の意見を見つけてしまいました。
この辺もあくまで人間臭い。
我々も猛烈に精神的に疲弊し切った時などは
睡眠欲や食欲よりもむしろ、公序良俗によろしくないどす黒い本能だけがむき出しの電極のように火花を散らす、
などということがありました。
過去形です。
芳しい香りは、SOSであったのですね。
一度きちんと鉢から出して根をきれいにして
腐葉土などもいっぱい上げて、
いつまでも私とともにありますように。