2013年04月12日

そうだ 京都、行こう。 3

和歌山の桜はもう完膚無きまでに散ってしまっているのに

今頃桜のお話、というのもどうにもマヌケですが

来年のご参考、にでもしてください。

とっておきの桜をご紹介しますね。


京都の山科、に、醍醐寺、というこれはもう覚え目出たい桜の古刹があります。

石清水八幡宮の500段の階段でふとももがすっかり萎えてしまいまして

ゆるり、とアクセルを踏んでもその踏み加減、の調整がつかない体たらくで

それでも30分かけて、ようよう醍醐寺に辿り着きました。

醍醐寺は平安時代から「花の醍醐」と呼ばれるほどの名所であったものに

豊臣秀吉が自分が花見に行くのに

事前に桜を700本も植えさせた、という逸話があります。


門前にはややソメイヨシノよりもやや濃いめの色合い艶やかな

しだれ桜があって、いきなり驚かされます。





まずここで見物客は驚く、というのが一つの通過儀礼となっているようで

私たちもここで正しく驚き、参道へと向かいました。


総門、と呼ばれる山門越しに、参道の桜並木が見えてきます。

これがまたえらいこと、きれい。





若草がほめき立つ山科の山稜を借景に、参道の左右に

あおい空を覆い隠さん、とでもするかのように

ソメイヨシノの枝ぶりがたおやかに伸びています。

満開は満開でも散りそめ一歩手前でしょうか。

桜の花びらが折からの風にあおられて、たゆたゆたゆと

肩に触れ足元に舞い、前を行くおじいさんのハゲ頭に付着し

花弁はまるで桜の木が生み出した小さな子どもたちの卵が一斉に孵化したように

中空を踊り遊んでいます。





長い参道の先には仁王門があって、そこを抜けると気配はがらりと変わります。

立派な五重の塔が見えてきました。





京都や奈良のお寺にはかなりの確率で五重の塔があります。

五重の塔、があるとお寺は一気にリッパに見えますな。

地方からやってくる観光客のミゾオチに、ずしん、と来る。

五重の塔を過ぎても、参道はさらに奥へ奥へと続きます。

いくつものお堂が散在し、そのお堂の入り口や参道の両側には

秀吉公の家紋、五七の桐、が見目艶やかに染め抜かれた幕が張られています。





それはまあ平安の昔から有名であった花の寺、醍醐寺を

イッキに名にしおう名刹へと導いてくれたのですからむべなるかな。

今でも4月の第二日曜に「豊太閤花見行列」が催され大勢の人で賑わうらしいですが

今年の桜も早いのでどうなりますやら。





弁天堂、観音堂、女人堂と、いくつものお堂を過ぎると、

それまでの堂宇と打って変わって、やや大ぶりで、

観光客の出入りの激しいお堂がありました。





このお堂が西国11番の札所になっていて、大勢の人がいわゆるご朱印、を押してもらっています。

私はおよそこのような熱い信仰とは無縁の世界に生きていて

さまざまな罪穢れが纏わりついているはずであるので

このような機会にひとつ無理を頼んで

額の中央にでも、力強くこのご朱印を打ちこんでもらわねば。


着た道をとって返し、石清水八幡宮の500段の石段で

鉛のように重くなったふとももをさすりさすり

長い境内を、ふたたび桜一色の参道へ戻ってきました。

時刻は4時。参道は、まだまだ人が溢れています。





歩きながらスマホやらケータイをかざしている人が多いので危ない危ない。

タブレット端末をかざして突進してくるのもいます。


外国からの観光客が多いのも京都ならでは。

中でも東南アジアの皆さんが、多いようです。

欧米のグループが、総門の入り口から桜並木を見て一言、

「ゴージャス!」とカンドウしています。

ゴージャス、ゴージャスの連発でうるさいのなんの。

このあたり日本人の感覚と明らかに違いますね。


昨今さくらをタイトルにつけた楽曲が巷にあふれていますが

日本古来よりの「さくらさくら」の、君が代、にも似た和の旋律を聴くまでもなく

桜、の、薄紅色ともまたちがう

白、にあるかないかの紅を含ませたほのかな色立ち、

さらにここへ黒の墨汁も、一雫落としたような佇まいを

ゴージャスとは言ってほしくない、ですな。

でも日本人も花見しますからね。

夜桜で花見をして、大騒ぎをするので、

大したことは言えませんか。





桜は、匂いませんからね。

まったくの、無味無臭。

無味、ということはないですがとにかく無臭。

梅の花は、すっぱ甘い良い香りがします。

それに実がなります。

花持ちも良くて、なかなか散りません。

梅は、実体感がある。

桜は、花の季節だけちやほやされて

それも、パッと咲いてパッと散る。

それ以外の季節は、立派な桜並木があっても

それが桜であることを誰もが忘れているのです。


日本人は、桜を

自分自身に投影しているのでしょうか。






それにつけてもフトモモの痛さよ。

20代や30代の頃は

これくらいのアスレチックで足などピンシャンしていたのに。

もう一度、あのころの強靭な肉体と猛々しさを。

7分咲きころの私に戻って、今ひとたびの・・・・



















  


Posted by チャームサロンカワサキ&フェイシャルクラブ at 21:49Comments(0)せんむのブログ

2013年04月09日

そうだ 京都、行こう。2

京都の桜、はエラい気がします。

これは、桜が有名な神社仏閣とセットになっているからで、

単に桜だけで良ければ近所の河原や公園に行けばニッポン中どこでもお花見を楽しめるのですが

清水寺や南禅寺に桜、というだけで、かしこまってしまいます。


京都へは、第二京阪が出来たので速い速い。

和歌山から1時間20分ほどで、この日最初の目的地、八幡市の「石清水八幡宮」に着きました。

「石清水八幡宮」は、いわしみずはちまんぐう、と読みまして

名前は薄ぼんやり知っていたのですがどこにあるかも桜の名所であることも知りませんでした。

PCで、京都・桜 で検索して、MAPPLEの桜開花情報を見ると一番最初に出てきて、

朱塗りの境内と桜のコントラストが見事であったので

やや変化球気味に、今回攻めてみました。


京都郊外の住宅街を貫く幹線道路の先にあった、石清水八幡宮。





極彩色の幟の奥に、朱塗りの本殿が青空に映えています。きれいです。

桜は、もちろんありました。こちらも見事です。





しかしやや残念であったのは、お社と桜が切り離されていて

桜は神社の横の広場にあったことです。

そして、大いに残念であったのは、この広場が駐車場であり

ここに駐車場があることを知らずに私は石段を500段上がってきた、ということでありました。

普段、100メートル先へ行くのにも

バイクを使っているわたくしの太モモは、

石段を100段も上がったあたりで悲鳴を上げ始め

200段を越えたあたりで、息も絶え絶えになり

300段を越えたところで、散り染めの桜の花びらが舞う中で

完全に動けなくなりました。


桜吹雪で、遭難。


いえいえただの筋肉痛ですね。





でも、石段を登ったおかげで、大山崎辺りの景色を高みから見ることもできましたし





参道の途中にある石柱で瞑想する哲学的な猫にも出会いました。









  


Posted by チャームサロンカワサキ&フェイシャルクラブ at 16:10Comments(0)せんむのブログ

2013年04月08日

そうだ 京都、行こう。1

JRの海南駅前に、みごとな桜の木があります。





商店街のウチのお店から駅まではおよそ100メートル。

商店街の突き当たりにちょうどこの木が見えて

この季節になるともこもこもこと薄紅色に膨らんで、

ああ桜の季節になったな、と感じさせてくれます。

海南の南に屏風のようにそびえる藤白山も、

冬の間は鬱屈したように深い蒼色に沈んでいるように見えたものが

新芽が一斉に吹き出して、こちらももこもこと、若草色に膨張してきます。





冬の間の大陸からの高気圧が移動性高気圧に変わって

空気もやわらかくなると、気持ちが妙にそわそわしだして、

こうしてはいられない。

と、心の有り様が、妙な焦燥感、と言いますか、

ウキウキ感とはまた違う浮遊した感覚になってしまいます。

こうしてはいられない。

ならば、どうするか。

猫。





であれば盛る、という手段がありますがそうはまいりませんね。

人間だもの。

みつを。

そういうことでもありません。

このふわりと浮足立った心を慰めてくれるもの。

それはやはり桜ですね。

桜を愛でよう。

桜を愛でるならどこが良いか。

もちろんJR海南駅の桜、でも十分なんですが

駅前の桜をボー然と眺めていると知り合いが大勢通りかかって何があった?

ということになるやもしれません。

桜、といえばやはり京都ですね。

というわけで、4月のはじめの木曜日、阪和道から第二京阪を通って、

京都の桜にココロのザワめきを委ねることにしました。


つづく\(-o-)/

  


Posted by チャームサロンカワサキ&フェイシャルクラブ at 14:29Comments(0)せんむのブログ