2013年04月08日
そうだ 京都、行こう。1
JRの海南駅前に、みごとな桜の木があります。
商店街のウチのお店から駅まではおよそ100メートル。
商店街の突き当たりにちょうどこの木が見えて
この季節になるともこもこもこと薄紅色に膨らんで、
ああ桜の季節になったな、と感じさせてくれます。
海南の南に屏風のようにそびえる藤白山も、
冬の間は鬱屈したように深い蒼色に沈んでいるように見えたものが
新芽が一斉に吹き出して、こちらももこもこと、若草色に膨張してきます。
冬の間の大陸からの高気圧が移動性高気圧に変わって
空気もやわらかくなると、気持ちが妙にそわそわしだして、
こうしてはいられない。
と、心の有り様が、妙な焦燥感、と言いますか、
ウキウキ感とはまた違う浮遊した感覚になってしまいます。
こうしてはいられない。
ならば、どうするか。
猫。
であれば盛る、という手段がありますがそうはまいりませんね。
人間だもの。
みつを。
そういうことでもありません。
このふわりと浮足立った心を慰めてくれるもの。
それはやはり桜ですね。
桜を愛でよう。
桜を愛でるならどこが良いか。
もちろんJR海南駅の桜、でも十分なんですが
駅前の桜をボー然と眺めていると知り合いが大勢通りかかって何があった?
ということになるやもしれません。
桜、といえばやはり京都ですね。
というわけで、4月のはじめの木曜日、阪和道から第二京阪を通って、
京都の桜にココロのザワめきを委ねることにしました。
つづく\(-o-)/
商店街のウチのお店から駅まではおよそ100メートル。
商店街の突き当たりにちょうどこの木が見えて
この季節になるともこもこもこと薄紅色に膨らんで、
ああ桜の季節になったな、と感じさせてくれます。
海南の南に屏風のようにそびえる藤白山も、
冬の間は鬱屈したように深い蒼色に沈んでいるように見えたものが
新芽が一斉に吹き出して、こちらももこもこと、若草色に膨張してきます。
冬の間の大陸からの高気圧が移動性高気圧に変わって
空気もやわらかくなると、気持ちが妙にそわそわしだして、
こうしてはいられない。
と、心の有り様が、妙な焦燥感、と言いますか、
ウキウキ感とはまた違う浮遊した感覚になってしまいます。
こうしてはいられない。
ならば、どうするか。
猫。
であれば盛る、という手段がありますがそうはまいりませんね。
人間だもの。
みつを。
そういうことでもありません。
このふわりと浮足立った心を慰めてくれるもの。
それはやはり桜ですね。
桜を愛でよう。
桜を愛でるならどこが良いか。
もちろんJR海南駅の桜、でも十分なんですが
駅前の桜をボー然と眺めていると知り合いが大勢通りかかって何があった?
ということになるやもしれません。
桜、といえばやはり京都ですね。
というわけで、4月のはじめの木曜日、阪和道から第二京阪を通って、
京都の桜にココロのザワめきを委ねることにしました。
つづく\(-o-)/
2013年03月16日
続・梅田界隈。
ハービスプラザにある牡蠣(かき)料理専門店、MAIMON。
オイスターバー、などという名前からして一筋縄ではいかない、と思っていましたが
現実は想像を大きく超えるものでした。
ターコイズブルー、というんでしょうかマリンブルーなのでしょうか、
とにかく海をイメージしました、ということが一目でわかる入口に立った時から
非常に緊張を覚えます。果敢に中に突入いたしますと、白を基調とした豪奢な内装。
天井の高い店内です。
天井が高い、ということは即ち、西梅田という一等地の空中権も価格に反映される訳です。
生牡蠣を注文しますと、北海道厚岸産、からはじまって、ノルウェー産やフランス産、などと
世界各国から生きたまま取り寄せたものの中から選ぶことができます。
世界中から運ばれる、ということは、まさか船便で何日もかけて来るわけではないので
航空便、ということになり、その渡航費、も価格に反映されます。
一粒、500円。
高いのになると、800円。
一粒300メートルのキャラメルとは訳が違います。
つるん、で500円。
「ノルウェー産はフルーティーで深いコク味があり・・・」なとど言われても、
食べ較べてみないとわからないことでありますが
それを深く理解して「うん、なるほどノルウェー産は」とうんちくを言えるほどの
味覚と、フトコロ力を持ちたいものです。
最近、「MAIMON」は、オイスターバー、の括りを取り払って
イタリア料理のお店にシフトチェンジしました。
牡蠣の渡航費は500円でも合わなかったのでしょうか。
オイスターバー、などという名前からして一筋縄ではいかない、と思っていましたが
現実は想像を大きく超えるものでした。
ターコイズブルー、というんでしょうかマリンブルーなのでしょうか、
とにかく海をイメージしました、ということが一目でわかる入口に立った時から
非常に緊張を覚えます。果敢に中に突入いたしますと、白を基調とした豪奢な内装。
天井の高い店内です。
天井が高い、ということは即ち、西梅田という一等地の空中権も価格に反映される訳です。
生牡蠣を注文しますと、北海道厚岸産、からはじまって、ノルウェー産やフランス産、などと
世界各国から生きたまま取り寄せたものの中から選ぶことができます。
世界中から運ばれる、ということは、まさか船便で何日もかけて来るわけではないので
航空便、ということになり、その渡航費、も価格に反映されます。
一粒、500円。
高いのになると、800円。
一粒300メートルのキャラメルとは訳が違います。
つるん、で500円。
「ノルウェー産はフルーティーで深いコク味があり・・・」なとど言われても、
食べ較べてみないとわからないことでありますが
それを深く理解して「うん、なるほどノルウェー産は」とうんちくを言えるほどの
味覚と、フトコロ力を持ちたいものです。
最近、「MAIMON」は、オイスターバー、の括りを取り払って
イタリア料理のお店にシフトチェンジしました。
牡蠣の渡航費は500円でも合わなかったのでしょうか。
2012年12月07日
梅田界隈。
このところの大阪の豹変ぶりには目を見張るものがあります。
ミナミ、の阿倍野界隈もかなりな変貌を遂げていますが
際立っているのは梅田周辺です。
阿呆と煙、ではないですがわたくしは高いところが非常に好きで
いわゆる超高層、といわれるビルの40階50階から
ジオラマのように展開する街並みを俯瞰すると背筋の辺りがぞくぞくして、見飽きることがありません。
大阪駅がリニューアルした昨年からその変わり様は顕著で
ビルは天空を突き抜けるように高く高く聳え立ち、林立し
数十年前を知る者にとっては、まるで別世界のうようです。
今から30有余年前の大阪駅は昭和15年から続く旧駅舎で
(これやったら和歌山駅と大して違わんやんか) と心の中でつぶやいた記憶があります。
梅田周辺の大変貌の端緒は、1970年代の第一~第四ビルの建設にはじまりますが
やはり、現在大丸の入っている大阪駅ビル「アクティ」の誕生でしょうか。
このビルは、1980年代初頭に着工されました。
ちょうどわたくしが梅田の丸ビルでアルバイトをしていた時と同時して、
にょき、にょき、にょきと、どこまでこの駅舎は伸びるのか、
丸ビルの前の小さな公園でタバコを吸いながら工事の進捗を見るのが楽しくて仕様がありませんでした。
93年には、北口に梅田スカイビルのある「新梅田シティ」が出来ました。
透け透けのエスカレーターで屋上の「空中庭園」に昇るのは結構スリルがあります。
2000年代に入ってからは、オオサカガーデンシティ、いわゆる西梅田の再開発が本格的に始まりました。
西梅田貨物駅を旧国鉄の再開発に伴い、国鉄清算事業団と阪神電鉄らの共同開発によって竣工された、
オフィスビル、商業施設、ホテルなどで構成された超高層ビル群です。
不景気不景気といわれ続けてはや20年、ですが、大阪はガンバッています。
その中のランドマーク的存在、超高級ホテル、ザ・リッツカールトン大阪。
40階建て。大阪超高層ビルランキング11位。
ビルもお高いですがお値段もえらいこと、お高いみたいです。入ったことはありません。
ヒルトンプラザ。
はじめこのビルを見たとき最上部の「HILTON」のロゴがリプトン、に見えて
なんで紅茶のメーカーがこんな巨大なビルを1等地に建てるのかと不思議に思いました。
大阪駅前に燦然と聳え立っているのに、これで大阪超高層ランキング54位。以外です。
言わずと知れた外資系のホテルです。もちろん用事がありません。
ハービスプラザ。34階。ビルランク20位。
このビルの5Fには。MAIMON、というオイスターバーがあります。
牡蠣(かき)料理専門店、というので出かけて行きましたが
かき料理、などというと海南市民、としましては東浜の「かき惣」で、
6畳一間のややくたびれた畳の和室で、割烹着のおばあちゃんが腰を曲げて運んでくる土手鍋一人前1980円、というものを
つい想像してしまいますが、それに毛の生えた程度のものと思って行くと、大変なことになります。
オイスター・バー、などという名前からして一筋縄ではいかないと思っていましたが、
現実は想像をはるかに超えるものでした。
つづく(^_-)-☆
ミナミ、の阿倍野界隈もかなりな変貌を遂げていますが
際立っているのは梅田周辺です。
阿呆と煙、ではないですがわたくしは高いところが非常に好きで
いわゆる超高層、といわれるビルの40階50階から
ジオラマのように展開する街並みを俯瞰すると背筋の辺りがぞくぞくして、見飽きることがありません。
大阪駅がリニューアルした昨年からその変わり様は顕著で
ビルは天空を突き抜けるように高く高く聳え立ち、林立し
数十年前を知る者にとっては、まるで別世界のうようです。
今から30有余年前の大阪駅は昭和15年から続く旧駅舎で
(これやったら和歌山駅と大して違わんやんか) と心の中でつぶやいた記憶があります。
梅田周辺の大変貌の端緒は、1970年代の第一~第四ビルの建設にはじまりますが
やはり、現在大丸の入っている大阪駅ビル「アクティ」の誕生でしょうか。
このビルは、1980年代初頭に着工されました。
ちょうどわたくしが梅田の丸ビルでアルバイトをしていた時と同時して、
にょき、にょき、にょきと、どこまでこの駅舎は伸びるのか、
丸ビルの前の小さな公園でタバコを吸いながら工事の進捗を見るのが楽しくて仕様がありませんでした。
93年には、北口に梅田スカイビルのある「新梅田シティ」が出来ました。
透け透けのエスカレーターで屋上の「空中庭園」に昇るのは結構スリルがあります。
2000年代に入ってからは、オオサカガーデンシティ、いわゆる西梅田の再開発が本格的に始まりました。
西梅田貨物駅を旧国鉄の再開発に伴い、国鉄清算事業団と阪神電鉄らの共同開発によって竣工された、
オフィスビル、商業施設、ホテルなどで構成された超高層ビル群です。
不景気不景気といわれ続けてはや20年、ですが、大阪はガンバッています。
その中のランドマーク的存在、超高級ホテル、ザ・リッツカールトン大阪。
40階建て。大阪超高層ビルランキング11位。
ビルもお高いですがお値段もえらいこと、お高いみたいです。入ったことはありません。
ヒルトンプラザ。
はじめこのビルを見たとき最上部の「HILTON」のロゴがリプトン、に見えて
なんで紅茶のメーカーがこんな巨大なビルを1等地に建てるのかと不思議に思いました。
大阪駅前に燦然と聳え立っているのに、これで大阪超高層ランキング54位。以外です。
言わずと知れた外資系のホテルです。もちろん用事がありません。
ハービスプラザ。34階。ビルランク20位。
このビルの5Fには。MAIMON、というオイスターバーがあります。
牡蠣(かき)料理専門店、というので出かけて行きましたが
かき料理、などというと海南市民、としましては東浜の「かき惣」で、
6畳一間のややくたびれた畳の和室で、割烹着のおばあちゃんが腰を曲げて運んでくる土手鍋一人前1980円、というものを
つい想像してしまいますが、それに毛の生えた程度のものと思って行くと、大変なことになります。
オイスター・バー、などという名前からして一筋縄ではいかないと思っていましたが、
現実は想像をはるかに超えるものでした。
つづく(^_-)-☆
2012年12月01日
前宮崎県知事、走る。
12月1日夕方の4時。
海南駅前広場に、東国原前宮崎県知事がやってきました。
海南は和歌山2区。元々は前市長の石田さんの地盤ですが
この前の選挙では民主に僅差で敗れて
その民主の衆議院議員が維新、に鞍替えしてややこしいこっとになっています。
前宮崎県知事は遅れてきて、時間が巻いているのか
駅前を走って選挙カーの屋根に飛び乗って、饒舌にしゃべっていました。
フットワークは昔のたけし軍団、の頃と変わりませんな。
駅前広場はけっこうな聴衆。
和歌山が日本維新の会の第一声、ということで
報道もたくさん来てました。
選挙、にはあまり関心がないけれど、
今度はおもしろく(不謹慎か(-"-))なりそうですねー。
海南駅前広場に、東国原前宮崎県知事がやってきました。
海南は和歌山2区。元々は前市長の石田さんの地盤ですが
この前の選挙では民主に僅差で敗れて
その民主の衆議院議員が維新、に鞍替えしてややこしいこっとになっています。
前宮崎県知事は遅れてきて、時間が巻いているのか
駅前を走って選挙カーの屋根に飛び乗って、饒舌にしゃべっていました。
フットワークは昔のたけし軍団、の頃と変わりませんな。
駅前広場はけっこうな聴衆。
和歌山が日本維新の会の第一声、ということで
報道もたくさん来てました。
選挙、にはあまり関心がないけれど、
今度はおもしろく(不謹慎か(-"-))なりそうですねー。
2012年11月27日
奈良の春日野 3.
春日大社で参拝を済ませ、大社から西へ鬱蒼とした木立を抜け、飛火野へ向かいました。
ここまで来ると、修学旅行の喧騒も聞こえてきません。
途中、手の届くような至近距離で、母鹿が小鹿に乳を与えていました。
鹿、など草食動物は一様に、弱肉強食の習いからすると
「食べられる側」であり、食べられる側の動物は些細なことにも敏感であり
授乳、などは咄嗟のときに俊敏な動きが取れない無防備な行いであるにも関わらず
まさにこんな至近距離で子に乳を与える、というのは、よほど奈良の鹿は
人間に敵愾心はおろか、親近感さえもっているのであろうか、などと感動させられました。
これはおそらく人間が、鹿に対して悪意を持った行いをしない、ということは第一義ですが
さらに言うと、「しかせんべい」などという、コミュニケーション・ツールでもって
鹿を手なずけているからに他なりません。
この「しかせんべい」というツールは強力で
たとえば大仏殿前の参道などは観光客が多く
観光客が多い、ということは、鹿にとって絶好の「せんべいポイント」でもあるので
鹿の数も多くなるわけですが
ここで鹿せんべい、を、ひとくくり10枚、せんべい屋の露天のおばさんから購入しますと
それを見て取った鹿たちが、わらわらわらと、にじり寄ってきます。
「そのせんべいをわしにくれ」と、頭をさげて近づいてきます。
体にまだらのある小鹿ならまだしも、体毛がすっかり黒褐色になって老いさらばえた巨大ジカまで
のんのんのんと、首を上げ下げして近づいてきます。
近づいてくる、だけならまだしも、頭をみぞおちあたりにぶつけてきて
激しいせんべいコールを行います。
たまりかねて1枚、せんべいをあげると、
おおきにありがとう、わしにもくれ、わしもわしもとなって、しまいには逃げざるを得なくなります。
飛火野、は、奈良公園の南端にある青芝がまばゆい平原です。
春日大社の常緑樹からは、晩秋の木漏れ日が溢れています。
飛火野は、「とびひの」と読みます。
古い昔の古い言い伝えからついた名前ですが、趣のある地名です。
さだまさしの、まほろば、という歌の中にもこの地名が出てきます。
やや陰にこもった暗めの旋律の中に「春日山から飛火野あたり」というフレーズがありますが、
目のあたりの飛火野は、暮れなずむ空を背に、牧歌的ですらありました。
見晴らしの良い平原のそこかしこに、鹿が群れています。4、50頭はいるでしょうか。
どうやらここは、奈良公園の鹿たちの、ねぐらになっているようで
公園一帯に散らばっている鹿たちが、三々五々、帰還してきています。
凛、と澄み切った、もはや初冬を感じる張りつめた空気と、暮れなずむ空。
黙々と、草を食む鹿たち。
ベンチでくつろぐ、老夫婦。
静謐にして幽玄。
寂寞とした古都の夕暮れ。
ここで、しかせんべいを出してみます。
当然、くれ、と近寄ってきます。
ここにはせんべい売りのおばさんの露店もありません。
観光客の姿もほとんどありません。
鹿たちも、ここでせんべいをもらえる行幸に与れるとは思ってもいないでしょう。
数十頭の鹿が、うれしそうに首を振り振り近づいてきます。
すぐに半径5~6メートルの同心円内が、すべて鹿で満たされます。
鹿まみれ。
鹿三昧。
家へ帰ったら、飼い犬が飛んで逃げ、うなり声をあげました。
鹿臭かった、のだと思います。
ここまで来ると、修学旅行の喧騒も聞こえてきません。
途中、手の届くような至近距離で、母鹿が小鹿に乳を与えていました。
鹿、など草食動物は一様に、弱肉強食の習いからすると
「食べられる側」であり、食べられる側の動物は些細なことにも敏感であり
授乳、などは咄嗟のときに俊敏な動きが取れない無防備な行いであるにも関わらず
まさにこんな至近距離で子に乳を与える、というのは、よほど奈良の鹿は
人間に敵愾心はおろか、親近感さえもっているのであろうか、などと感動させられました。
これはおそらく人間が、鹿に対して悪意を持った行いをしない、ということは第一義ですが
さらに言うと、「しかせんべい」などという、コミュニケーション・ツールでもって
鹿を手なずけているからに他なりません。
この「しかせんべい」というツールは強力で
たとえば大仏殿前の参道などは観光客が多く
観光客が多い、ということは、鹿にとって絶好の「せんべいポイント」でもあるので
鹿の数も多くなるわけですが
ここで鹿せんべい、を、ひとくくり10枚、せんべい屋の露天のおばさんから購入しますと
それを見て取った鹿たちが、わらわらわらと、にじり寄ってきます。
「そのせんべいをわしにくれ」と、頭をさげて近づいてきます。
体にまだらのある小鹿ならまだしも、体毛がすっかり黒褐色になって老いさらばえた巨大ジカまで
のんのんのんと、首を上げ下げして近づいてきます。
近づいてくる、だけならまだしも、頭をみぞおちあたりにぶつけてきて
激しいせんべいコールを行います。
たまりかねて1枚、せんべいをあげると、
おおきにありがとう、わしにもくれ、わしもわしもとなって、しまいには逃げざるを得なくなります。
飛火野、は、奈良公園の南端にある青芝がまばゆい平原です。
春日大社の常緑樹からは、晩秋の木漏れ日が溢れています。
飛火野は、「とびひの」と読みます。
古い昔の古い言い伝えからついた名前ですが、趣のある地名です。
さだまさしの、まほろば、という歌の中にもこの地名が出てきます。
やや陰にこもった暗めの旋律の中に「春日山から飛火野あたり」というフレーズがありますが、
目のあたりの飛火野は、暮れなずむ空を背に、牧歌的ですらありました。
見晴らしの良い平原のそこかしこに、鹿が群れています。4、50頭はいるでしょうか。
どうやらここは、奈良公園の鹿たちの、ねぐらになっているようで
公園一帯に散らばっている鹿たちが、三々五々、帰還してきています。
凛、と澄み切った、もはや初冬を感じる張りつめた空気と、暮れなずむ空。
黙々と、草を食む鹿たち。
ベンチでくつろぐ、老夫婦。
静謐にして幽玄。
寂寞とした古都の夕暮れ。
ここで、しかせんべいを出してみます。
当然、くれ、と近寄ってきます。
ここにはせんべい売りのおばさんの露店もありません。
観光客の姿もほとんどありません。
鹿たちも、ここでせんべいをもらえる行幸に与れるとは思ってもいないでしょう。
数十頭の鹿が、うれしそうに首を振り振り近づいてきます。
すぐに半径5~6メートルの同心円内が、すべて鹿で満たされます。
鹿まみれ。
鹿三昧。
家へ帰ったら、飼い犬が飛んで逃げ、うなり声をあげました。
鹿臭かった、のだと思います。
2012年11月25日
奈良の春日野 2。
ヒサビサの奈良公園は、大勢の観光客で賑わっていました。
商店街を抜けて、興福寺の境内を通りました。
興福寺の五重の塔が、晩秋の青空に燦然と聳え立っています。
奈良は、景観条例で、この五重の塔よりも高い建造物を作ってはいけない、という
ことになっているらしい、ということを昔学生時代に、奈良に住む友人から
聞いたことがありました。
「上には建てられん。下を掘ったら遺跡が出てきて工事ストップや。
そんなんばっかりや。」友人がボヤいていたことを思い出しました。
広い境内の向こうは、きれいに手入れされた奈良公園が広がっていました。
つきぬけるような青空に、常緑樹の森。
大勢の観光客。そしてその中に、奈良公園なので当然ですが、鹿がいます。
東大寺における、神の使いであります。
観光客に混じって、鹿が悠然と歩いている、ということの不思議を感じます。
角は、ありませんでした。
そういえば駐車場から外へ出る途中、こんなポスターを見かけました。
どうやら、角は切られたて、のようです。
こんな看板もいたるところにありました。
奈良の鹿は基本おとなしいですがあくまで野生ですので
何があってもしりませんよ、という看板です。
しかも鹿はどうやらこの季節がいわゆる「ハッスル月間」のようで、
「ハッスル」が過ぎて気性も荒くなっているのでどうやら角を落とされる、みたいです。
東大寺に向かう参道にたむろする鹿たちは、皆一様におとなしく
観光客に頭をぽんぽん、とされても嫌がる気配すらありません。
長く広い参道を抜けると、目の前に東大寺大仏殿が広がりました。
蒼穹の空に映える、あおによし奈良の都の大仏殿。
あたりまえですが巨大、であります。
パンフレットによると758年建立で
それから焼き討ちにあったり台風で倒壊したりとっすったもんだがあって
今の伽藍は1709年再建、というのですが
今から300年以上前にこんなモノを作るとはやはりこの私たちの国ニッポンの物作りにかけての技術と情熱は、
などと感心させられます。
時節柄今がピークなのかも知れませんが、修学旅行の生徒の数が半端ではありません。
小学生、みたいです。
広島あるいは岡山弁、らしき「じゃけん」系のコトバが飛び交っています。
本殿脇で大勢の修学旅行の子供たちがカタマリになっているので
何があるのかと覗いてみると、柱に穴が開いていて、そこをくぐりぬけると何事かエンギが良い、ということで
ひとりづつ生徒がその穴をくぐっています。
くぐり抜けたところで先生が2人待ち構えていて、生徒を穴から引っ張り出して
上半身を出したところでVサインをする、ということを延々、くりかえしています。
穴を抜ける、だけならそんなに時間はかからないんでしょうが
出てきたところをいちいちカメラを構えてVサイン、をさせているので
列がなかなか進みません。順番待ちをしている生徒はおそらく100人以上いたようなので
1時間はかかるであろうなあ、なにもVサイン、をさせてまで撮る価値があるのか、
あの先生たちにとっては後々あるのであろうなあ。
退屈で半怪獣化した子供たちの嬌声歓声罵声が高天井の伽藍に共鳴反射して
うるさいのなんの。
早々に本殿を出て、お水取りで有名な二月堂へ向かいました。
ここも修学旅行の生徒たちに席巻されていましたが
大仏殿のような喧騒はありませんでした。
お堂へ続く石段を、ひとかたまりになって登っていく姿が
どこまでも続く青い青い空に溶け込んでゆきました。
続く(*^_^*)
商店街を抜けて、興福寺の境内を通りました。
興福寺の五重の塔が、晩秋の青空に燦然と聳え立っています。
奈良は、景観条例で、この五重の塔よりも高い建造物を作ってはいけない、という
ことになっているらしい、ということを昔学生時代に、奈良に住む友人から
聞いたことがありました。
「上には建てられん。下を掘ったら遺跡が出てきて工事ストップや。
そんなんばっかりや。」友人がボヤいていたことを思い出しました。
広い境内の向こうは、きれいに手入れされた奈良公園が広がっていました。
つきぬけるような青空に、常緑樹の森。
大勢の観光客。そしてその中に、奈良公園なので当然ですが、鹿がいます。
東大寺における、神の使いであります。
観光客に混じって、鹿が悠然と歩いている、ということの不思議を感じます。
角は、ありませんでした。
そういえば駐車場から外へ出る途中、こんなポスターを見かけました。
どうやら、角は切られたて、のようです。
こんな看板もいたるところにありました。
奈良の鹿は基本おとなしいですがあくまで野生ですので
何があってもしりませんよ、という看板です。
しかも鹿はどうやらこの季節がいわゆる「ハッスル月間」のようで、
「ハッスル」が過ぎて気性も荒くなっているのでどうやら角を落とされる、みたいです。
東大寺に向かう参道にたむろする鹿たちは、皆一様におとなしく
観光客に頭をぽんぽん、とされても嫌がる気配すらありません。
長く広い参道を抜けると、目の前に東大寺大仏殿が広がりました。
蒼穹の空に映える、あおによし奈良の都の大仏殿。
あたりまえですが巨大、であります。
パンフレットによると758年建立で
それから焼き討ちにあったり台風で倒壊したりとっすったもんだがあって
今の伽藍は1709年再建、というのですが
今から300年以上前にこんなモノを作るとはやはりこの私たちの国ニッポンの物作りにかけての技術と情熱は、
などと感心させられます。
時節柄今がピークなのかも知れませんが、修学旅行の生徒の数が半端ではありません。
小学生、みたいです。
広島あるいは岡山弁、らしき「じゃけん」系のコトバが飛び交っています。
本殿脇で大勢の修学旅行の子供たちがカタマリになっているので
何があるのかと覗いてみると、柱に穴が開いていて、そこをくぐりぬけると何事かエンギが良い、ということで
ひとりづつ生徒がその穴をくぐっています。
くぐり抜けたところで先生が2人待ち構えていて、生徒を穴から引っ張り出して
上半身を出したところでVサインをする、ということを延々、くりかえしています。
穴を抜ける、だけならそんなに時間はかからないんでしょうが
出てきたところをいちいちカメラを構えてVサイン、をさせているので
列がなかなか進みません。順番待ちをしている生徒はおそらく100人以上いたようなので
1時間はかかるであろうなあ、なにもVサイン、をさせてまで撮る価値があるのか、
あの先生たちにとっては後々あるのであろうなあ。
退屈で半怪獣化した子供たちの嬌声歓声罵声が高天井の伽藍に共鳴反射して
うるさいのなんの。
早々に本殿を出て、お水取りで有名な二月堂へ向かいました。
ここも修学旅行の生徒たちに席巻されていましたが
大仏殿のような喧騒はありませんでした。
お堂へ続く石段を、ひとかたまりになって登っていく姿が
どこまでも続く青い青い空に溶け込んでゆきました。
続く(*^_^*)
2012年11月23日
奈良の春日野。
奈良、に行ってきました。
この季節、京都に行ってきた、となると
清水やら神護寺やら、紅葉スポットがたくさんあって
「ああ、いいですねえ」となるんですが
「奈良に行ってきまして」と話すと、
「何しに?」という返事が大方の場合帰ってきます。
奈良は京都と並ぶ1000年の古都であり、
大仏さんはもちろんのこと、名所旧跡はひきもきらないのですが、
どうにも京都の陰に隠れてしまって、これという目的が無いと、
なかなか出かける機会がありません。
それでも私の記憶の中で、奈良へ行ったというのは
この10年間はお仕事がらみで出かけた程度で
あとは遥か昔々の小学校の修学旅行以来でありましたので、
ヒサビサに出かけてみよう、大仏さんのご尊顔も仰いで
鹿にせんべいのひとつもくれてやろう、と、休みの日に出かけました。
和歌山から阪和道、西名阪を通って法隆寺インターで降り
20分ほど北上して、奈良の市街地に入りました。
奈良も、街自体は大したことはありません。
和歌山と似たかよったか、といったところでしょうか。
しかしどこかリッパな街に見えるのは
奈良公園、という巨大な公園が広がり、その背後に青々とした
若草山が連なっているからでしょうか。
着いたのがお昼くらいだったので、お昼ごはんを食べに
近鉄奈良駅界隈の、一番の繁華街の「もちいどの商店街」付近を散策しました。
さて。ここでまた旅行者は考え込んでしまいます。
奈良に行って、これを食べねば、というモノがまったく思い浮かばないのです。
奈良漬けか、柿の葉ずしか、鹿せんべいくらいしか思い浮かばないのです。
これはどうしても押さえておきたい、といった食べ物が出てきません。
商店街は、賑わっていました。
客層が若いです。
和歌山の商店街、ぶらくり丁はもはや瀕死の状態ですが
こっちは駅チカ、大仏チカ、ということもあってか
地元の人や観光客で賑わっています。
とりあえず、せっかく奈良に来たことでもあるし
普段は食べられないモノを、ということで、ベトナム料理のお店をみつけて入りました。
奈良に来てベトナム料理もどうよ、と思いながらも
奈良漬を買って奈良公園のベンチでまるかぶりするわけにもいかず、
入ったこの「コムゴン」というお店はなかなかのスマッシュヒットでした。
注文を取りに来た40半ばの日本人女性がオーナーみたいでしたが
厨房の中はベトナム語らしきコトバが飛び交い
出てきた料理はなかなか見目も麗しく
味は、ベトナムへ行ったことがないのでわかりませんが日本人向けにすこし
妥協してくれているのか、スルスルおいしく頂きました。
近鉄奈良駅界隈の商店街でお昼をとってから
奈良公園に向かいました。
つづく(*^_^*)
この季節、京都に行ってきた、となると
清水やら神護寺やら、紅葉スポットがたくさんあって
「ああ、いいですねえ」となるんですが
「奈良に行ってきまして」と話すと、
「何しに?」という返事が大方の場合帰ってきます。
奈良は京都と並ぶ1000年の古都であり、
大仏さんはもちろんのこと、名所旧跡はひきもきらないのですが、
どうにも京都の陰に隠れてしまって、これという目的が無いと、
なかなか出かける機会がありません。
それでも私の記憶の中で、奈良へ行ったというのは
この10年間はお仕事がらみで出かけた程度で
あとは遥か昔々の小学校の修学旅行以来でありましたので、
ヒサビサに出かけてみよう、大仏さんのご尊顔も仰いで
鹿にせんべいのひとつもくれてやろう、と、休みの日に出かけました。
和歌山から阪和道、西名阪を通って法隆寺インターで降り
20分ほど北上して、奈良の市街地に入りました。
奈良も、街自体は大したことはありません。
和歌山と似たかよったか、といったところでしょうか。
しかしどこかリッパな街に見えるのは
奈良公園、という巨大な公園が広がり、その背後に青々とした
若草山が連なっているからでしょうか。
着いたのがお昼くらいだったので、お昼ごはんを食べに
近鉄奈良駅界隈の、一番の繁華街の「もちいどの商店街」付近を散策しました。
さて。ここでまた旅行者は考え込んでしまいます。
奈良に行って、これを食べねば、というモノがまったく思い浮かばないのです。
奈良漬けか、柿の葉ずしか、鹿せんべいくらいしか思い浮かばないのです。
これはどうしても押さえておきたい、といった食べ物が出てきません。
商店街は、賑わっていました。
客層が若いです。
和歌山の商店街、ぶらくり丁はもはや瀕死の状態ですが
こっちは駅チカ、大仏チカ、ということもあってか
地元の人や観光客で賑わっています。
とりあえず、せっかく奈良に来たことでもあるし
普段は食べられないモノを、ということで、ベトナム料理のお店をみつけて入りました。
奈良に来てベトナム料理もどうよ、と思いながらも
奈良漬を買って奈良公園のベンチでまるかぶりするわけにもいかず、
入ったこの「コムゴン」というお店はなかなかのスマッシュヒットでした。
注文を取りに来た40半ばの日本人女性がオーナーみたいでしたが
厨房の中はベトナム語らしきコトバが飛び交い
出てきた料理はなかなか見目も麗しく
味は、ベトナムへ行ったことがないのでわかりませんが日本人向けにすこし
妥協してくれているのか、スルスルおいしく頂きました。
近鉄奈良駅界隈の商店街でお昼をとってから
奈良公園に向かいました。
つづく(*^_^*)
2012年11月21日
LEDの商店街。
海南駅前一番街の、クリスマスイルミネーション。
今年で、もう10年目になります。
おじさんたちが集まって、一生けんめい飾り付け。
初めは白熱灯みたいな、黄色いチカチカ豆球だった飾りも、
最近は、ほとんどLEDになりました。
このペンギンは、20まんえん。
金額言ったらダメですね。
お子さんと一緒に写メ撮ってる人多数。
皆さん通りかかった時は、自転車なんかでぶつかってひっくり返さないでくださいね~
2時から装飾を初めて、終わった頃はいちめんの夕焼け。
海南駅前一番街のクリスマスイルミネーションは、12月25日まで。
お近くへお越しの際は、ぜひぜひ。
今年で、もう10年目になります。
おじさんたちが集まって、一生けんめい飾り付け。
初めは白熱灯みたいな、黄色いチカチカ豆球だった飾りも、
最近は、ほとんどLEDになりました。
このペンギンは、20まんえん。
金額言ったらダメですね。
お子さんと一緒に写メ撮ってる人多数。
皆さん通りかかった時は、自転車なんかでぶつかってひっくり返さないでくださいね~
2時から装飾を初めて、終わった頃はいちめんの夕焼け。
海南駅前一番街のクリスマスイルミネーションは、12月25日まで。
お近くへお越しの際は、ぜひぜひ。
2012年11月12日
ナビがむせぶ道・高野龍神 3。
高野龍神スカイラインは、高野山を北端に南下して
途中、和歌山県最高峰の護摩壇山を通り、
龍神温泉近くまで、和歌山県の背骨をあたりを
うねうねと走っています。
高野山で7分目だった紅葉は、標高を上げるごとに色づきを増していき、
旧花園村のアジサイ園の辺りからは、まさに見ごろ、となりました。
道路沿いは落葉樹が続き、黄色のトンネルの上方は蒼穹の空。
和歌山市内とはトーンが違う、ひとつ濃いめの青。
セルリアンブルーと群青色の中間の、蒼。
工場も排気ガスも無い、正しいニッポンの蒼空が広がっています。
申し訳ないほど、気分がいい
と、カーナビが突然、「奈良県に入りました」と言い、ナビの画像に大仏が映し出されました。
ぼくの車のカーナビは、府県境を超えると女性の声で高らかに、
○○県に、入りました。とアナウンスが入る、のは至極あたりまえかも知れませんが、
モニターに、その県の名所の写真まで表示される、妙なオプションがあります。
進行方向右手に、野迫川村、の案内標識が立っています。
「のせがわむら」と読むのであるなあ、と妙に感心して、さらに数百メートルも進んだでしょうか、
カーナビの女性がが再び、「和歌山県に、入りました」と言いました。
画面に、白浜の円月島が映し出されました。
またしばらく進むと、今度は「奈良県に、入りました。」と言いました。
画面には大仏が映っています。
時間にして、1分経ったか経っていないかです。
なるほど。と、ぼくは感心しました。
和歌山と奈良の県境の尾根に沿って走っているので
地理的にはどちらかの県の敷居を跨いでいる訳です。
ぼくは今までここを何度も走りましたが、前の車にはカーナビはついておらず、
カーナビ付きの車になって初めて、このスカイラインが和歌山と奈良を行きつ戻りつしているのだということに気がつきました。
しかしまあなんと律儀に、と感心する間もなく、
カーナビ嬢は「和歌山県に、入りました。」と言いました。
画面に円月島が映し出されました。
今度は20秒も経っていません。
すぐにまた切り替わって、大仏が映し出されました。
「奈良県に入りました」。
どうなっておるのか。
カーナビ嬢は単に地理的に本当に県境を厳密に衛星でつかまえて
一生けんめいアナウンスをしているだけなのですが
あまりにもめまぐるしいのです。
よく持って1分。
「和歌山県に、入りました」。
カーナビ嬢は叫び続けます。
あくまでも滑舌良く、明朗な、透き通る声です。
「奈良県に、入りました。」
奈良県に、で、一拍置くところに、
カーナビ嬢のこの仕事にかけるひたむきな情熱、のようなものを感じます。
一途な性格だと思います。
「和歌山県に、入りました。」
それから、護摩檀山のスカイタワーで一服するまで、
カーナビ嬢はけなげに、
奈良県に入りました和歌山県に入りましたを29回繰り返しました。
最後まで、大仕事をやり遂げました。
たおやかな声で、嫌な顔ひとつせずアナウンスをしてくれました。
今度時間ができたら一度ゆっくりガストでエスプレッソでも飲んで
この時の顛末を聞いてみたいと思います。
途中、和歌山県最高峰の護摩壇山を通り、
龍神温泉近くまで、和歌山県の背骨をあたりを
うねうねと走っています。
高野山で7分目だった紅葉は、標高を上げるごとに色づきを増していき、
旧花園村のアジサイ園の辺りからは、まさに見ごろ、となりました。
道路沿いは落葉樹が続き、黄色のトンネルの上方は蒼穹の空。
和歌山市内とはトーンが違う、ひとつ濃いめの青。
セルリアンブルーと群青色の中間の、蒼。
工場も排気ガスも無い、正しいニッポンの蒼空が広がっています。
申し訳ないほど、気分がいい
と、カーナビが突然、「奈良県に入りました」と言い、ナビの画像に大仏が映し出されました。
ぼくの車のカーナビは、府県境を超えると女性の声で高らかに、
○○県に、入りました。とアナウンスが入る、のは至極あたりまえかも知れませんが、
モニターに、その県の名所の写真まで表示される、妙なオプションがあります。
進行方向右手に、野迫川村、の案内標識が立っています。
「のせがわむら」と読むのであるなあ、と妙に感心して、さらに数百メートルも進んだでしょうか、
カーナビの女性がが再び、「和歌山県に、入りました」と言いました。
画面に、白浜の円月島が映し出されました。
またしばらく進むと、今度は「奈良県に、入りました。」と言いました。
画面には大仏が映っています。
時間にして、1分経ったか経っていないかです。
なるほど。と、ぼくは感心しました。
和歌山と奈良の県境の尾根に沿って走っているので
地理的にはどちらかの県の敷居を跨いでいる訳です。
ぼくは今までここを何度も走りましたが、前の車にはカーナビはついておらず、
カーナビ付きの車になって初めて、このスカイラインが和歌山と奈良を行きつ戻りつしているのだということに気がつきました。
しかしまあなんと律儀に、と感心する間もなく、
カーナビ嬢は「和歌山県に、入りました。」と言いました。
画面に円月島が映し出されました。
今度は20秒も経っていません。
すぐにまた切り替わって、大仏が映し出されました。
「奈良県に入りました」。
どうなっておるのか。
カーナビ嬢は単に地理的に本当に県境を厳密に衛星でつかまえて
一生けんめいアナウンスをしているだけなのですが
あまりにもめまぐるしいのです。
よく持って1分。
「和歌山県に、入りました」。
カーナビ嬢は叫び続けます。
あくまでも滑舌良く、明朗な、透き通る声です。
「奈良県に、入りました。」
奈良県に、で、一拍置くところに、
カーナビ嬢のこの仕事にかけるひたむきな情熱、のようなものを感じます。
一途な性格だと思います。
「和歌山県に、入りました。」
それから、護摩檀山のスカイタワーで一服するまで、
カーナビ嬢はけなげに、
奈良県に入りました和歌山県に入りましたを29回繰り返しました。
最後まで、大仕事をやり遂げました。
たおやかな声で、嫌な顔ひとつせずアナウンスをしてくれました。
今度時間ができたら一度ゆっくりガストでエスプレッソでも飲んで
この時の顛末を聞いてみたいと思います。
2012年11月11日
ナビがむせぶ道・高野龍神 2。
焼き餅で有名な花坂の集落を抜け、
急峻な道を駆け上がること20分。
目の前にいきなり大きな山門が現れました。
高野山の西の入り口、「大門」です。
大門を過ぎると、目の前に高野の町街が細長い帯状に数キロに渡って続きます。
高野山には117ものお寺があります。
お土産物屋や食堂はもちろん、
郵便局もあれば、紀陽銀行もあります。
人口も1万人近くあって、大学まである宗教都市です。
あれだけ急峻な山を登ってきて、目の前に忽然と、街が広がる様は、
ある意味カオスですらあります。
ちなみに、高野山、というのはあの辺り一帯の標高1000メートル前後のお山の集合体の総称で、
高野山、という名前の山は存在しない、そうです。
高野山の紅葉は、7分目、といったところでした。
寒かったです。
車についている外気温計は、12℃を指していました。
一番繁華な通りに、「森下商店」というごま豆腐で有名なお店があります。
ここの「生ごま豆腐」は、絶品です。
ごま豆腐、というと普通は少しきつね色、をしているものですが
完全無垢の純白で、舌触りがねっとり、というより、ぬっとり、として
口の中に入れた途端固形の体を成さず、淡雪のように、スーッと消えてなくなり
かすかなゴマの残り香だけが後から鼻腔を駆け抜けます。
高野山へ行かれた際には、ぜひともゲットしてください。
高野山街の東の外れの食堂できつねうどんを食べ、
いよいよ高野龍神スカイラインへ入って行きました。
つづく\(-o-)/
急峻な道を駆け上がること20分。
目の前にいきなり大きな山門が現れました。
高野山の西の入り口、「大門」です。
大門を過ぎると、目の前に高野の町街が細長い帯状に数キロに渡って続きます。
高野山には117ものお寺があります。
お土産物屋や食堂はもちろん、
郵便局もあれば、紀陽銀行もあります。
人口も1万人近くあって、大学まである宗教都市です。
あれだけ急峻な山を登ってきて、目の前に忽然と、街が広がる様は、
ある意味カオスですらあります。
ちなみに、高野山、というのはあの辺り一帯の標高1000メートル前後のお山の集合体の総称で、
高野山、という名前の山は存在しない、そうです。
高野山の紅葉は、7分目、といったところでした。
寒かったです。
車についている外気温計は、12℃を指していました。
一番繁華な通りに、「森下商店」というごま豆腐で有名なお店があります。
ここの「生ごま豆腐」は、絶品です。
ごま豆腐、というと普通は少しきつね色、をしているものですが
完全無垢の純白で、舌触りがねっとり、というより、ぬっとり、として
口の中に入れた途端固形の体を成さず、淡雪のように、スーッと消えてなくなり
かすかなゴマの残り香だけが後から鼻腔を駆け抜けます。
高野山へ行かれた際には、ぜひともゲットしてください。
高野山街の東の外れの食堂できつねうどんを食べ、
いよいよ高野龍神スカイラインへ入って行きました。
つづく\(-o-)/
2012年11月10日
ナビがむせぶ道・高野龍神。
紅葉の季節、がやってきました。
和歌山市内はまだまだですが、東北や日光のあたりから紅葉の便りが届くころになると
和歌山では高野山や、高野龍神スカイラインが紅葉の見ごろを迎えます。
ちょうどテレビのニュースで、日光中禅寺湖の紅葉が今真っ盛り、というニュースが流れたので
たまの休日、晴天、気温18度という誠に良いお日柄でもあり
車で高野龍神スカイラインへ向かいました。
高野龍神スカイラインは、和歌山県と奈良県の県境の紀伊山地を
山の尾根に沿って走る見晴らしバツグンの道で
かつては有料でありました。
北の入口は高野山から南へ少し走ったところにあって
スカイラインの入口で、道ができた当時、確か1000円ほど取られたキオクがあります。
1000円は高いなあ、と思いながらも、花園のアジサイ園の辺りから、
右手には和歌山県の、海に向かってやや標高を下げるかのような重畳としたやさしい山並みを、
左手には奈良県の、さらに険しさを増す山塊を眺めながら走っているうちに誠に爽快な気分になるんですが、
数十キロ走って終点になるとまた今度は出口ゲートで1000円ほど取られて眉間に縦ジワが入る、という
やや、お高いロードでありました。
今では償却期間が終わって、無料で絶景を堪能することができるオススメドライブルートです。
和歌山市を出て50分ほど、紀ノ川を遡上するように、東へ東へと走ります。
市街地を抜け、刈り取られた田んぼや、
二つ三つ実を残して枝だけになった柿の木などが心を和ませてくれます。
やがて紀ノ川の流れが少し狭隘になると、突如、鬱蒼とした木々に囲まれた大きな中州が現れ、
紀ノ川は二股に分断されます。
この中州は「へび島」と言います。
なんともおどろの名前なのですが、
こんもりとした中州の森は、本名を「船岡山」と言い、
中には広島と同じ名前の「厳島神社」というお社があるらしいです。
ありがたい中州なのですが、子供の頃助手席からこの島を眺めていると、
実際に蛇が岸から中州へ、あるいは中州から岸へ向かって
あきらかにそれしかない水紋を描きながら泳ぎ渡っているのを目撃したことがあるので
恐らくあの森の中では蛇がとぐろを巻いているのではないだろうか、と、未だに想像をさせられます。
この中州を過ぎて、国道を右に曲がり南下すると、道は山間になります。
焼き餅で有名な花坂、という集落を過ぎると、道は急峻になり、高野山へと駆け上ります。
続く\(-o-)/
和歌山市内はまだまだですが、東北や日光のあたりから紅葉の便りが届くころになると
和歌山では高野山や、高野龍神スカイラインが紅葉の見ごろを迎えます。
ちょうどテレビのニュースで、日光中禅寺湖の紅葉が今真っ盛り、というニュースが流れたので
たまの休日、晴天、気温18度という誠に良いお日柄でもあり
車で高野龍神スカイラインへ向かいました。
高野龍神スカイラインは、和歌山県と奈良県の県境の紀伊山地を
山の尾根に沿って走る見晴らしバツグンの道で
かつては有料でありました。
北の入口は高野山から南へ少し走ったところにあって
スカイラインの入口で、道ができた当時、確か1000円ほど取られたキオクがあります。
1000円は高いなあ、と思いながらも、花園のアジサイ園の辺りから、
右手には和歌山県の、海に向かってやや標高を下げるかのような重畳としたやさしい山並みを、
左手には奈良県の、さらに険しさを増す山塊を眺めながら走っているうちに誠に爽快な気分になるんですが、
数十キロ走って終点になるとまた今度は出口ゲートで1000円ほど取られて眉間に縦ジワが入る、という
やや、お高いロードでありました。
今では償却期間が終わって、無料で絶景を堪能することができるオススメドライブルートです。
和歌山市を出て50分ほど、紀ノ川を遡上するように、東へ東へと走ります。
市街地を抜け、刈り取られた田んぼや、
二つ三つ実を残して枝だけになった柿の木などが心を和ませてくれます。
やがて紀ノ川の流れが少し狭隘になると、突如、鬱蒼とした木々に囲まれた大きな中州が現れ、
紀ノ川は二股に分断されます。
この中州は「へび島」と言います。
なんともおどろの名前なのですが、
こんもりとした中州の森は、本名を「船岡山」と言い、
中には広島と同じ名前の「厳島神社」というお社があるらしいです。
ありがたい中州なのですが、子供の頃助手席からこの島を眺めていると、
実際に蛇が岸から中州へ、あるいは中州から岸へ向かって
あきらかにそれしかない水紋を描きながら泳ぎ渡っているのを目撃したことがあるので
恐らくあの森の中では蛇がとぐろを巻いているのではないだろうか、と、未だに想像をさせられます。
この中州を過ぎて、国道を右に曲がり南下すると、道は山間になります。
焼き餅で有名な花坂、という集落を過ぎると、道は急峻になり、高野山へと駆け上ります。
続く\(-o-)/
2012年10月24日
ハロウィン仮装コンテスト。
この前の日曜日、
海南の駅前一番街商店街に
思い思いの仮装をした子供たちや、そのお母さんたちが集まり
ハロウィン仮装コンテスト、が行われました。
普段は水を打ったようにシン。と静まりかえっている商店街ですが
この日はほぼ一日中、街路に人が溢れていました。
このイベントはよく考えられています。
商店街にはほとんどおカネがないので、贅沢なイベントはできなのですが、
ハロウィンのコスプレは、子供たちが自分で考えたり
お母さんが一生懸命手作りしたりで商店街の負担がほとんどありません。
さらに、参加する皆さんにはナンバーワッペンが渡されて
そのナンバーを掲示したお店に行くと、お菓子がもらえる、という
商店街も賑わい子供たちもウレシいイベントが組み込まれているんです。
仮装コンテストの参加者は約100名。
いかにもハロウィン、といった風情の、手の込んだ仮装をした子供から
普段着に毛の生えた程度の子供までさまざまで
一人づつ小さなひな壇に上げられて、アピールポイント、などを聞かれて
戸惑ったりはにかんだり。
審査員は、一番街商店街の楠理事長をはじめ、中央通り、商工会議所、
市役所からそれぞれ代表がやってきて、計4名。
見た目や手作り感、元気度、など採点項目がいくつかあって、選ぶほうも大変です。
コンテスト結果発表の瞬間が近づきました。街路には、人がいっぱいになりました。
5位から順に発表されて、準優勝の発表です。
準優勝に、なんと、七福神が入りました。
ハロウィンなのに七福神? と、
小首を傾げたくなりましたがどうしてどうして
その衣装の凝り様たるや、ハンパではありません。
平均年齢は70歳を超えていたでしょうか。
口上も奮っていて、町や、商店街や、ニッポンに元気を! と、声高に叫んでくれました。
わたくしとしては、ハロウィンテイストに溢れてたこのコたちの方が良いように感じたりもしたのですが。
いずれにしても、大団円のハロウィン仮装コンテスト。
主催者の皆さま、おつかれまさでした(*^_^*)
計
海南の駅前一番街商店街に
思い思いの仮装をした子供たちや、そのお母さんたちが集まり
ハロウィン仮装コンテスト、が行われました。
普段は水を打ったようにシン。と静まりかえっている商店街ですが
この日はほぼ一日中、街路に人が溢れていました。
このイベントはよく考えられています。
商店街にはほとんどおカネがないので、贅沢なイベントはできなのですが、
ハロウィンのコスプレは、子供たちが自分で考えたり
お母さんが一生懸命手作りしたりで商店街の負担がほとんどありません。
さらに、参加する皆さんにはナンバーワッペンが渡されて
そのナンバーを掲示したお店に行くと、お菓子がもらえる、という
商店街も賑わい子供たちもウレシいイベントが組み込まれているんです。
仮装コンテストの参加者は約100名。
いかにもハロウィン、といった風情の、手の込んだ仮装をした子供から
普段着に毛の生えた程度の子供までさまざまで
一人づつ小さなひな壇に上げられて、アピールポイント、などを聞かれて
戸惑ったりはにかんだり。
審査員は、一番街商店街の楠理事長をはじめ、中央通り、商工会議所、
市役所からそれぞれ代表がやってきて、計4名。
見た目や手作り感、元気度、など採点項目がいくつかあって、選ぶほうも大変です。
コンテスト結果発表の瞬間が近づきました。街路には、人がいっぱいになりました。
5位から順に発表されて、準優勝の発表です。
準優勝に、なんと、七福神が入りました。
ハロウィンなのに七福神? と、
小首を傾げたくなりましたがどうしてどうして
その衣装の凝り様たるや、ハンパではありません。
平均年齢は70歳を超えていたでしょうか。
口上も奮っていて、町や、商店街や、ニッポンに元気を! と、声高に叫んでくれました。
わたくしとしては、ハロウィンテイストに溢れてたこのコたちの方が良いように感じたりもしたのですが。
いずれにしても、大団円のハロウィン仮装コンテスト。
主催者の皆さま、おつかれまさでした(*^_^*)
計
2012年10月22日
USJの夜は更けない 3
パレードの一隊が通り過ぎ、観客たちは三々五々、思い思いのアトラクションに散って行きました。
私は、手に入れた8本のネックレスを首からぶらさげて、意気揚々と次のアトラクション、
横入(はい)りチケットの2枚目を使うべく、バックトゥーザ・フューチャー、に向かいました。
バックトゥーザ・フューチャーは、開園してまもなく、1時間半待ちに業を煮やして
半時間並んで挫折して見ずに帰った記憶があります。
しかし、今回は横入り、のエクスプレスパス、を持っています。
バットゥーザフューチャー、の待ち時間は、30分でした。
意外と、空いています。
しかし、館内の手前に、長い長い柵、が設けられていて、
そこをうねうねうねと、修学旅行生を中心に、老若男女がどぐろを巻いていました。
どぐろの手前の係員にチケットを見せると、1か所の鎖を解いてくれました。
言われるままに進むと、どぐろの人々、の横にまっすぐに伸びた通路があって、
人っ子一人いません。その通路を、ずんずん進んでいきます。
これはまさに裏口入学、であります。
中学生たちから羨望の眼差し、が注がれます。
申し訳ないような肩身の狭いような感情とはウラハラに
妙な優越感、も沸いてきます。
VIP。などという言葉も頭をかすめます。しかし
彼らの中に混じって、まんじりともせず行列する、などということは
それだけでくたびれ果ててしまいそうです。
おじさんには、そんな気力、も体力もありません。
あっという間に、アトラクションの建物の中に入りました。
私は、映画をテレビで見た記憶がほんのりあるくらいで
このアトラクションの中身をまったく理解していませんでした。
博士が開発した「デロリアン号」に乗って、
過去だったか未来だったかをいったりきたりする、という程度の乏しい情報量でした。
建物の中で長い行列の先頭集団、と一緒になって
20畳くらいの部屋に通されました。
そこで、一通りのレクチャーを受けました。
部屋の隅に注意書き、があって、心臓疾患のある方、首に疾患のある方、
背中・腰に疾患のある方云々、と書かれています。
尾てい骨にヒビの入った方。とは書かれていませんが
妙に不安になります。
やがて私たちは、さらにいくつかの班に分けられ、
8人ずつ、さらに小さな10畳敷きくらいの小部屋に通されました。
目の前に、これから乗るであろうデロリアン号らしきモノが見えます。
この車、に乗り込むようです。
ものの5分、も経たなかったでしょうか。
小部屋の中に、けたたましいサイレンがなりました。
いよいよアトラクションがj始まります。
私は、3Dメガネを装着しました。時空を超えた旅に出ます。
サイレンに続いて、「火事です。火事です。」と、野太い男性の声が流れました。
変わったインサートであります。
また、サイレンがなりました。
今度は英語です。
FIRE! と連呼しています。
同じ小部屋には、家族連れがひと組と、若いカップルが乗っていました。
皆一様に、次の展開を待っています。
またサイレンがなって、「火事です」を繰り返します。
ん?
火事です、サイレン、FIREは、都合3回繰り返されました。
やがて、小部屋に入る唯一のドアが開けられ、
スタッフらしき女の子がやや青ざめて部屋に入ってきました。
どうやら本物、の火事のようです。
「火災報知機が異常を感知して、申し訳ございませんが今しばらくこのままでお待ちください」
アトラクションがもうすでに始まっていて、演出なのか、と誰もが思っていました。
私たちは、小部屋に軟禁状態になりました。
10分過ぎました。
相変わらず、火事ですサイレンFIREの3点セット館内放送は続いています。
スタッフの女の子が、また顔を出しました。
「ただいま原因を調べておりますので、いましばらく」、と言い残して、
慌ただしく顔を引っ込め、ドアを閉めました。
どうやら、本格的な火事、ではないようです。
15分が経過しました。
空調も止まっています。
小部屋の中の温度は、人いきれでどんどん上がっていきました。
親子連れの子供が、床に座り込んでいます。
汗が止まりません。
スタッフがまた顔を覗かせて、「ご気分の悪い方はいらっしゃいませんか」と尋ねてきます。
私は、汗みずくで、とりあえずもうアトラクションはいいからこの部屋から出してほしい、と言うと
「マニュアルですので」という返事です。
結局、30分近く閉じ込められて、ようやく釈放されて外に出た時は、
すでに日が西に傾いていました。
ボヤ騒ぎは結局1時間ほどで終息して、
改めてバックトゥーザフューチャー、にリトライしました。
スパイダーマンも見ました。ジュラシックパークザライド、にも行きました。
どのアトラクションも、尾てい骨に沁みわたりました。
最後に乗った、ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド(ジェットコースター)では、
すべてのGが尾てい骨を直撃して、肛門が裏返るかと思いました。
ハロウィンホラーナイト、は木曜日はお休みでした。
皆さんUSJにお出かけのときには、日程を正しくチェックしましょう。
あとUSJには、あのように落ちたり回ったりするアトラクションだけではなくて
もう少しお尻にやさしいアトラクションも考える時にきているのではないか、と
付け加えておきます。
付け加えなくていい?
はい、はい
私は、手に入れた8本のネックレスを首からぶらさげて、意気揚々と次のアトラクション、
横入(はい)りチケットの2枚目を使うべく、バックトゥーザ・フューチャー、に向かいました。
バックトゥーザ・フューチャーは、開園してまもなく、1時間半待ちに業を煮やして
半時間並んで挫折して見ずに帰った記憶があります。
しかし、今回は横入り、のエクスプレスパス、を持っています。
バットゥーザフューチャー、の待ち時間は、30分でした。
意外と、空いています。
しかし、館内の手前に、長い長い柵、が設けられていて、
そこをうねうねうねと、修学旅行生を中心に、老若男女がどぐろを巻いていました。
どぐろの手前の係員にチケットを見せると、1か所の鎖を解いてくれました。
言われるままに進むと、どぐろの人々、の横にまっすぐに伸びた通路があって、
人っ子一人いません。その通路を、ずんずん進んでいきます。
これはまさに裏口入学、であります。
中学生たちから羨望の眼差し、が注がれます。
申し訳ないような肩身の狭いような感情とはウラハラに
妙な優越感、も沸いてきます。
VIP。などという言葉も頭をかすめます。しかし
彼らの中に混じって、まんじりともせず行列する、などということは
それだけでくたびれ果ててしまいそうです。
おじさんには、そんな気力、も体力もありません。
あっという間に、アトラクションの建物の中に入りました。
私は、映画をテレビで見た記憶がほんのりあるくらいで
このアトラクションの中身をまったく理解していませんでした。
博士が開発した「デロリアン号」に乗って、
過去だったか未来だったかをいったりきたりする、という程度の乏しい情報量でした。
建物の中で長い行列の先頭集団、と一緒になって
20畳くらいの部屋に通されました。
そこで、一通りのレクチャーを受けました。
部屋の隅に注意書き、があって、心臓疾患のある方、首に疾患のある方、
背中・腰に疾患のある方云々、と書かれています。
尾てい骨にヒビの入った方。とは書かれていませんが
妙に不安になります。
やがて私たちは、さらにいくつかの班に分けられ、
8人ずつ、さらに小さな10畳敷きくらいの小部屋に通されました。
目の前に、これから乗るであろうデロリアン号らしきモノが見えます。
この車、に乗り込むようです。
ものの5分、も経たなかったでしょうか。
小部屋の中に、けたたましいサイレンがなりました。
いよいよアトラクションがj始まります。
私は、3Dメガネを装着しました。時空を超えた旅に出ます。
サイレンに続いて、「火事です。火事です。」と、野太い男性の声が流れました。
変わったインサートであります。
また、サイレンがなりました。
今度は英語です。
FIRE! と連呼しています。
同じ小部屋には、家族連れがひと組と、若いカップルが乗っていました。
皆一様に、次の展開を待っています。
またサイレンがなって、「火事です」を繰り返します。
ん?
火事です、サイレン、FIREは、都合3回繰り返されました。
やがて、小部屋に入る唯一のドアが開けられ、
スタッフらしき女の子がやや青ざめて部屋に入ってきました。
どうやら本物、の火事のようです。
「火災報知機が異常を感知して、申し訳ございませんが今しばらくこのままでお待ちください」
アトラクションがもうすでに始まっていて、演出なのか、と誰もが思っていました。
私たちは、小部屋に軟禁状態になりました。
10分過ぎました。
相変わらず、火事ですサイレンFIREの3点セット館内放送は続いています。
スタッフの女の子が、また顔を出しました。
「ただいま原因を調べておりますので、いましばらく」、と言い残して、
慌ただしく顔を引っ込め、ドアを閉めました。
どうやら、本格的な火事、ではないようです。
15分が経過しました。
空調も止まっています。
小部屋の中の温度は、人いきれでどんどん上がっていきました。
親子連れの子供が、床に座り込んでいます。
汗が止まりません。
スタッフがまた顔を覗かせて、「ご気分の悪い方はいらっしゃいませんか」と尋ねてきます。
私は、汗みずくで、とりあえずもうアトラクションはいいからこの部屋から出してほしい、と言うと
「マニュアルですので」という返事です。
結局、30分近く閉じ込められて、ようやく釈放されて外に出た時は、
すでに日が西に傾いていました。
ボヤ騒ぎは結局1時間ほどで終息して、
改めてバックトゥーザフューチャー、にリトライしました。
スパイダーマンも見ました。ジュラシックパークザライド、にも行きました。
どのアトラクションも、尾てい骨に沁みわたりました。
最後に乗った、ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド(ジェットコースター)では、
すべてのGが尾てい骨を直撃して、肛門が裏返るかと思いました。
ハロウィンホラーナイト、は木曜日はお休みでした。
皆さんUSJにお出かけのときには、日程を正しくチェックしましょう。
あとUSJには、あのように落ちたり回ったりするアトラクションだけではなくて
もう少しお尻にやさしいアトラクションも考える時にきているのではないか、と
付け加えておきます。
付け加えなくていい?
はい、はい
2012年10月21日
USJの夜は更けない 2
エクスプレス・パス、という横入(はい)りチケットは
ブックレット4、といって、スパイダーマン、は必須アトラクションで
あとは2つのアトラクションから好きなほうを1つ選べるようになっていて、
これが3枚綴り。必須のスパイダーマンと合わせると
合計4つのアトラクションを、行列回避、で見ることができるようになっていました。
当然私の基準には、お尻にやさしいアトラクション、という大前提があります。
しかし、組み合わせを見ると、2つのうちひとつの、お尻にやさしそうなアトラクション、
例えばバックドラフト、とかジョーズとかはすでに体験済みで、
残された未体験のアトラクションは、いわゆる絶叫系と、ややハゲシい揺れを伴う
3Dメガネ系、ということがわかりました。
まあ良いではないか。せっかくヒサビサのUSJでもあるし、この機会に未体験のアトラクションをすべて
制覇してしまおう、と、波のように押し寄せる中学生の修学旅行集団を掻き分けて
まず最初に、スペース・ファンタジーザライド、という、室内を周回するジェットコースター、に乗りました。
これはいわゆる、絶叫系、でありますがが室内、ということもあり、大したことはないだろう、タカをくくっていました。
結果。
アトラクションは、楽しかったです。そんなに絶叫、するほどのものでもありませんでした。
しかし、お尻は痛かったです。
遠心力、でお尻にGがかかるのが良くないみたいです。
お医者さんに、「まあ3カ月は痛いで」と、言われていたのを甘く見ていました
尾てい骨をさすりさすり、表へ出ると、折しもパレードが始まる直前で、
大勢の人が目抜き通りの両側に、鈴なり、になっています。
私は、沿道の中学生の集団に混じって
ややダメージを受けたお尻を陽光にかざしいたわりながら、パレードの通るのを待ちました。
やがて、建物の一角から、陽気なサンバのリズムに乗って、
パレードの一隊が、姿を現しました。
ヒスパニックの音楽に乗って、大勢のダンサーが、踊り歌いながらやってきました。
リオのカーニバルをミニチュアにして、日本人にして、ハロウィンテイストを加えました、という感じでしょうか。
一隊はあくまでも陽気に、賑やかに、渾身のダンスを踊りながら、目の前を通り過ぎて行きます。
観客は大喜びで、サンバのリズムに合わせて、手拍子を打っています。
観客も、ダンサーも、満面の笑み。笑みが沿道を包みます。
私も思わず手拍子を打ちました。これはテンションが上がります。
やがて、目の前に大きな山車(だし)、がやってきました。
山車の上から、ハロウィンの仮装をしたおねえさんが何人かいて
観客に向かって、何かを投げています。
そこかしこで嬌声があがっています。
投げているものは、ネックレスでした。
パール粒のようなネックレスを、観客に向かって投げています。
けっこうな量のネックレスの束を投げています。
沿道は大騒ぎで、このネックレスの争奪戦、になっています。
山車の上のおねえさんは、手を振る観客のほうに、気前よくどんどんネックレスを投げています。
高みからモノを投げるひとと、群がり拾うひとびと。
私は、これは、何かに似ているな。と思いました。
これに似て非なるものを、私は何度も経験しているな、と。
餅まき。
子供の頃、海南の日限山の上で夏祭りの夜に行われた餅まき。
建前のときに、新築の家の屋根から行われていた餅まき。
USJのパレードを見て、餅まき、を連想しているのはおそらく
前後左右見渡しても、私だけだったのでしょうか。
山車、が私の前まで来ました。
ネックレスなど欲しくもなんともなかったのですが、
条件反射的に、おねえさんに向かって手を振りました。
周囲はほぼ中学生で、頭ひとつ私が抜けていたからでしょうか、
子供にまじって、おっさんがウレシげに手を振るのがおねえさんの目に止まったからでしょうか、
おねえさんは満面の笑みを返して、私の方へ向けて、ネックレスのひとかたまりを投げてくれました。
ネックレスの束が、私の顔面を直撃しました。
金銀赤緑青紫の、色とりどりのネックレスが、私の周囲にまき散らされ
一瞬のうちに中学生たちが仕留めて、歓声を上げています。
ネックレス隊は、まだ続くようでした。
すぐ後ろの山車からも、ネックレスが投げられています。
こうしているわけにはいきません。
何がこうしているわけにはいかないのかわかりませんが、
私の闘争本能のどこかにスイッチが入りました。
8本、ゲットしました。
してやったり、です。
餅まきスピリットは健在でした。
\(-o-)/つづく
ブックレット4、といって、スパイダーマン、は必須アトラクションで
あとは2つのアトラクションから好きなほうを1つ選べるようになっていて、
これが3枚綴り。必須のスパイダーマンと合わせると
合計4つのアトラクションを、行列回避、で見ることができるようになっていました。
当然私の基準には、お尻にやさしいアトラクション、という大前提があります。
しかし、組み合わせを見ると、2つのうちひとつの、お尻にやさしそうなアトラクション、
例えばバックドラフト、とかジョーズとかはすでに体験済みで、
残された未体験のアトラクションは、いわゆる絶叫系と、ややハゲシい揺れを伴う
3Dメガネ系、ということがわかりました。
まあ良いではないか。せっかくヒサビサのUSJでもあるし、この機会に未体験のアトラクションをすべて
制覇してしまおう、と、波のように押し寄せる中学生の修学旅行集団を掻き分けて
まず最初に、スペース・ファンタジーザライド、という、室内を周回するジェットコースター、に乗りました。
これはいわゆる、絶叫系、でありますがが室内、ということもあり、大したことはないだろう、タカをくくっていました。
結果。
アトラクションは、楽しかったです。そんなに絶叫、するほどのものでもありませんでした。
しかし、お尻は痛かったです。
遠心力、でお尻にGがかかるのが良くないみたいです。
お医者さんに、「まあ3カ月は痛いで」と、言われていたのを甘く見ていました
尾てい骨をさすりさすり、表へ出ると、折しもパレードが始まる直前で、
大勢の人が目抜き通りの両側に、鈴なり、になっています。
私は、沿道の中学生の集団に混じって
ややダメージを受けたお尻を陽光にかざしいたわりながら、パレードの通るのを待ちました。
やがて、建物の一角から、陽気なサンバのリズムに乗って、
パレードの一隊が、姿を現しました。
ヒスパニックの音楽に乗って、大勢のダンサーが、踊り歌いながらやってきました。
リオのカーニバルをミニチュアにして、日本人にして、ハロウィンテイストを加えました、という感じでしょうか。
一隊はあくまでも陽気に、賑やかに、渾身のダンスを踊りながら、目の前を通り過ぎて行きます。
観客は大喜びで、サンバのリズムに合わせて、手拍子を打っています。
観客も、ダンサーも、満面の笑み。笑みが沿道を包みます。
私も思わず手拍子を打ちました。これはテンションが上がります。
やがて、目の前に大きな山車(だし)、がやってきました。
山車の上から、ハロウィンの仮装をしたおねえさんが何人かいて
観客に向かって、何かを投げています。
そこかしこで嬌声があがっています。
投げているものは、ネックレスでした。
パール粒のようなネックレスを、観客に向かって投げています。
けっこうな量のネックレスの束を投げています。
沿道は大騒ぎで、このネックレスの争奪戦、になっています。
山車の上のおねえさんは、手を振る観客のほうに、気前よくどんどんネックレスを投げています。
高みからモノを投げるひとと、群がり拾うひとびと。
私は、これは、何かに似ているな。と思いました。
これに似て非なるものを、私は何度も経験しているな、と。
餅まき。
子供の頃、海南の日限山の上で夏祭りの夜に行われた餅まき。
建前のときに、新築の家の屋根から行われていた餅まき。
USJのパレードを見て、餅まき、を連想しているのはおそらく
前後左右見渡しても、私だけだったのでしょうか。
山車、が私の前まで来ました。
ネックレスなど欲しくもなんともなかったのですが、
条件反射的に、おねえさんに向かって手を振りました。
周囲はほぼ中学生で、頭ひとつ私が抜けていたからでしょうか、
子供にまじって、おっさんがウレシげに手を振るのがおねえさんの目に止まったからでしょうか、
おねえさんは満面の笑みを返して、私の方へ向けて、ネックレスのひとかたまりを投げてくれました。
ネックレスの束が、私の顔面を直撃しました。
金銀赤緑青紫の、色とりどりのネックレスが、私の周囲にまき散らされ
一瞬のうちに中学生たちが仕留めて、歓声を上げています。
ネックレス隊は、まだ続くようでした。
すぐ後ろの山車からも、ネックレスが投げられています。
こうしているわけにはいきません。
何がこうしているわけにはいかないのかわかりませんが、
私の闘争本能のどこかにスイッチが入りました。
8本、ゲットしました。
してやったり、です。
餅まきスピリットは健在でした。
\(-o-)/つづく
2012年10月20日
USJの夜は更けない 1
お店のエステの椅子から転がり落ちて尾てい骨にヒビが入った、ということは
この前ブログに書きました。
あれから1カ月とちょっと。長く椅子に座っているときや
車の運転で道路の凸凹をタイヤが拾った時などまだ鈍痛いものの
ハゲシい痛みからは解放されました。
ここ1カ月ほどは、カゲキな運動及び長距離の車の運転、は避けていたんですが
気候も良くなって、この辺りで「お尻快気祝い」、ということで、
ヒサビサにUSJへ行ってみよう、と思い立ちました。
しかしまだ、さまざまなアトラクションをこなす、特に
カゲキな乗り物は必ずやお尻にいい影響はないはずであると思ったので、
今盛んにテレビでCMをしている「パレード・デ・カーニバル」を見に行くだけでもいいではないか、
さらに、夜になるとハロウィン・USJでジェイソンやゾンビが出てくるというではないか、
これは快気祝いにもってこい、と、
たまの休日(木曜日)、快晴、気温25度、湿度快適、ということもあって、
湾岸をを北へ北へと、車を走らせました。
USJ、には苦い思い出があります。
開園して間もない時に出かけ、大阪万博ソ連館並の待ち時間にうんざりして、
並ぶのが嫌でろくに見ずに退散したのが最初、
2度目はこれも今から10年も昔、カワサキとフェイシャルクラブのスタッフ、
それに社長(父のことです)と母親を連れて行った時のこと。
社長はヘルニアを患っていて、ジェットコースターのような絶叫系のアトラクションはダメ、
スタッフは、水に濡れるのはイヤ、と言っていたので
引率役でありながら下調べを十分にしなかった私は、
ただ恐竜の世界を小舟で見て回るだけ、と勝手に解釈し、全員を
「ジュラシックパーク・ザ・ライド」に乗せ、
急流すべり、みたいなことになって、
絶叫系、と濡れ系を同時に体験させ、
社長は立ち上がれす、スタッフは化粧が落ちパンツまで濡れ
大ブーイングを受けた、などのことから
どうにもUSJには良い思い出がありません。
今回は、天気明朗、気温良好、平日で空いているであろうし、
お尻モンダイさえなければ万全の態勢です。
USJは、混んでいました。
これほどの大型バスの集団、を見たことがありません。
どうやら修学旅行、みたいです。
中学生っぽいのが、入場ゲートの中にも外にも溢れています。
これほどの中学生のカタマリ、というのも見たことはありません。
まだ夏の制服姿の中学生が、USJのくるくる回る地球儀の前で写真を撮っています。
そのすぐ横で、別の中学の生徒が200人くらい体育座りをしています。
空いている、という目論見はみごとに外れたみたいです。
ちょうど時計の針はは3時を少し回っていたので、
入場券売り場で、少し割安な
トワイライトチケット、というものを購入しました。
お会計、を済ませると、窓口のおねえさんが、
エクスプレス・パスはいかがですか? と聞いてきます。
くわしく尋ねると、行列せずにいわゆる「横入り」できるチケット、らしいんです。
そういえばそんなものもあったような気がしました。
結構なお値段。
しかしまあせっかく来たのであるし、この中学生たちに交じって、いい齢をして
しおしおと行列につき従って30分1時間、というのも不細工な話です。
意を決して、えいや! のイキオイでこの裏口入学的チケットを購入しました。
目の前の楽しげな喧騒と華やかな音楽。
私は妙な躁、状態になっていて、
この後起こった、あなおそろしやの出来事は、想像すらできませんでした。
つづく\(-o-)/
この前ブログに書きました。
あれから1カ月とちょっと。長く椅子に座っているときや
車の運転で道路の凸凹をタイヤが拾った時などまだ鈍痛いものの
ハゲシい痛みからは解放されました。
ここ1カ月ほどは、カゲキな運動及び長距離の車の運転、は避けていたんですが
気候も良くなって、この辺りで「お尻快気祝い」、ということで、
ヒサビサにUSJへ行ってみよう、と思い立ちました。
しかしまだ、さまざまなアトラクションをこなす、特に
カゲキな乗り物は必ずやお尻にいい影響はないはずであると思ったので、
今盛んにテレビでCMをしている「パレード・デ・カーニバル」を見に行くだけでもいいではないか、
さらに、夜になるとハロウィン・USJでジェイソンやゾンビが出てくるというではないか、
これは快気祝いにもってこい、と、
たまの休日(木曜日)、快晴、気温25度、湿度快適、ということもあって、
湾岸をを北へ北へと、車を走らせました。
USJ、には苦い思い出があります。
開園して間もない時に出かけ、大阪万博ソ連館並の待ち時間にうんざりして、
並ぶのが嫌でろくに見ずに退散したのが最初、
2度目はこれも今から10年も昔、カワサキとフェイシャルクラブのスタッフ、
それに社長(父のことです)と母親を連れて行った時のこと。
社長はヘルニアを患っていて、ジェットコースターのような絶叫系のアトラクションはダメ、
スタッフは、水に濡れるのはイヤ、と言っていたので
引率役でありながら下調べを十分にしなかった私は、
ただ恐竜の世界を小舟で見て回るだけ、と勝手に解釈し、全員を
「ジュラシックパーク・ザ・ライド」に乗せ、
急流すべり、みたいなことになって、
絶叫系、と濡れ系を同時に体験させ、
社長は立ち上がれす、スタッフは化粧が落ちパンツまで濡れ
大ブーイングを受けた、などのことから
どうにもUSJには良い思い出がありません。
今回は、天気明朗、気温良好、平日で空いているであろうし、
お尻モンダイさえなければ万全の態勢です。
USJは、混んでいました。
これほどの大型バスの集団、を見たことがありません。
どうやら修学旅行、みたいです。
中学生っぽいのが、入場ゲートの中にも外にも溢れています。
これほどの中学生のカタマリ、というのも見たことはありません。
まだ夏の制服姿の中学生が、USJのくるくる回る地球儀の前で写真を撮っています。
そのすぐ横で、別の中学の生徒が200人くらい体育座りをしています。
空いている、という目論見はみごとに外れたみたいです。
ちょうど時計の針はは3時を少し回っていたので、
入場券売り場で、少し割安な
トワイライトチケット、というものを購入しました。
お会計、を済ませると、窓口のおねえさんが、
エクスプレス・パスはいかがですか? と聞いてきます。
くわしく尋ねると、行列せずにいわゆる「横入り」できるチケット、らしいんです。
そういえばそんなものもあったような気がしました。
結構なお値段。
しかしまあせっかく来たのであるし、この中学生たちに交じって、いい齢をして
しおしおと行列につき従って30分1時間、というのも不細工な話です。
意を決して、えいや! のイキオイでこの裏口入学的チケットを購入しました。
目の前の楽しげな喧騒と華やかな音楽。
私は妙な躁、状態になっていて、
この後起こった、あなおそろしやの出来事は、想像すらできませんでした。
つづく\(-o-)/
2012年10月07日
すすきのじゅうたん。
生石山、へ行ってきました。
この前朝日新聞に、今生石山のすすきが見頃ですよ~、という記事が
1面にカラーで載っていたので、ちょうどいとこが3連休で帰ってきたこともあり、
二人して出かけてみました。
生石山、は我々海南市民には、目の前の藤白山、の次に馴染みの深い山で
小学校の遠足の定番でもありますし、
狭い林道を抜けて山頂から360度の景色を見遥かす、というのは気持ちのいいものです。
今から30年も昔、学生の頃、5月のゴールデンウィークの夜に友人たちとこの山に車ででかけ、
山頂でバーベキューをするつもりが、あまりの強風で、バーベキューの火が周りの枯れ草に燃え移り、
呑気にパンパン火の粉を追っているうちに、麓から消防団の方々が猛烈なイキオイで駆け上がってきて
それはもう激しく叱られた、という、私にとっては苦い、というか申し訳ない思い出のある山でもあります。
この日は、海南市内の気温が23℃、と、前日よりも3℃ほど気温が下がり、っすっかり秋めいていました。
海南から20分も走ると、辺りは一面黄金色の田園になり、目の前に覆いかぶさるように
生石山の山塊が迫ってきます。小川の宮、という集落を抜けると、
いきなり立ち上がったように道路は急峻になり、標高を稼いでいきます。
折しも三連休で、朝日新聞に掲載された、ということもあってか
普段は車の希な狭い林道に、対向車がどんどんやってきます。
車幅一杯の杣道のような箇所ですれ違うのは非常に困難で、
それでも県外ナンバーの若い娘が乗っている軽、などが結構なイキオイで
坂道を下ってきます。ここでは1歩間違うと脱輪、というよりむしろ転落、
という事態になるやもしれず、慎重に慎重に、高度を稼いでいくと、
急にセンターラインの引かれた立派な道になり、目の前になだらかな山容が広がりました。
生石高原、です。
3か所ある駐車場はどこもほぼ満杯で、殆どが京阪神ナンバーです。
生石高原、も有名になったものです。
何とか車を留め、外へ出ました。
寒いです。
海南は、昨日まで夏日、でした。
私たちは半袖でした。
まだ、夏の余韻に浸っていました。
外へ出る前、車の中の温度計が17℃、となっていたので、
半袖では寒いのは当たり前です。
しかしまあせっかく来たのでもあるし、しばらくは半袖でもガマンできるであろう、ということで
私たちは、目の前に開けた小径に歩を進めました。
一面、黄金色の、すすきのまさに“じゅうたん”です。
すすきのじゅうたんが、折からの強風にあおられて、右へ、左へ大きくしなりたなびき、
そこへ雲間から時折顔を出すおひさまの光がキラと反射して
鈍い銀色を放っています。
これはかなりキレイです。
ひさびさに、人工物以外でキレイなものを見たな、という気持ちになりました。
南を見ると、まだ夏の衣を纏ったままに見える、紀伊山地の深緑の山塊。
北には、「木の国」と言われる紀州にあって、唯一開けた紀ノ川の平野。
目の前に広がる、すすきの群生。
山頂は芝生、なんでしょうか刈り込まれた草のなだらかな丘、になっていて、そこで観光客が一息ついて、子供たちは
芝ソリのようなことをして嬌声をあげています。
しかしそれにしても寒いです。
生石山の標高は、870m。
気温はおそらく17℃。
それに風。立っていたら煽られそうな風が、びょうびょうと吹き募っています。
周りをぐるりと見渡しても、遮るものが無い、この一帯では最高峰の山を甘く見てはいけませんでした。
私たちを除く県外からの観光客の皆さんは、全員が、長袖。しっかり情報を仕入れて
山頂の気温、に適応していますが、それでも17℃にこの風は、やや厳しいのでしょうか、歓声が上がるのは
体感温度、などということにはおそらく無縁な子供たちばかりで、
大人たちは皆一様に言葉少な目です。
それでもそこかしこで、幕の内、などを広げている妙齢のご婦人方の眉間には縦ジワが入っています。
少し遅れた避暑、が一足早い冬体験、となったみたいです。
半袖、の私たちは、周囲風景掌握、すすき群生網膜焼付完了、と指差し確認して、
早々に車に乗り込みました。
生石山は今、ススキの最盛期です。
ぜひぜひ、ウワモノを1枚羽織って、お出かけください
この前朝日新聞に、今生石山のすすきが見頃ですよ~、という記事が
1面にカラーで載っていたので、ちょうどいとこが3連休で帰ってきたこともあり、
二人して出かけてみました。
生石山、は我々海南市民には、目の前の藤白山、の次に馴染みの深い山で
小学校の遠足の定番でもありますし、
狭い林道を抜けて山頂から360度の景色を見遥かす、というのは気持ちのいいものです。
今から30年も昔、学生の頃、5月のゴールデンウィークの夜に友人たちとこの山に車ででかけ、
山頂でバーベキューをするつもりが、あまりの強風で、バーベキューの火が周りの枯れ草に燃え移り、
呑気にパンパン火の粉を追っているうちに、麓から消防団の方々が猛烈なイキオイで駆け上がってきて
それはもう激しく叱られた、という、私にとっては苦い、というか申し訳ない思い出のある山でもあります。
この日は、海南市内の気温が23℃、と、前日よりも3℃ほど気温が下がり、っすっかり秋めいていました。
海南から20分も走ると、辺りは一面黄金色の田園になり、目の前に覆いかぶさるように
生石山の山塊が迫ってきます。小川の宮、という集落を抜けると、
いきなり立ち上がったように道路は急峻になり、標高を稼いでいきます。
折しも三連休で、朝日新聞に掲載された、ということもあってか
普段は車の希な狭い林道に、対向車がどんどんやってきます。
車幅一杯の杣道のような箇所ですれ違うのは非常に困難で、
それでも県外ナンバーの若い娘が乗っている軽、などが結構なイキオイで
坂道を下ってきます。ここでは1歩間違うと脱輪、というよりむしろ転落、
という事態になるやもしれず、慎重に慎重に、高度を稼いでいくと、
急にセンターラインの引かれた立派な道になり、目の前になだらかな山容が広がりました。
生石高原、です。
3か所ある駐車場はどこもほぼ満杯で、殆どが京阪神ナンバーです。
生石高原、も有名になったものです。
何とか車を留め、外へ出ました。
寒いです。
海南は、昨日まで夏日、でした。
私たちは半袖でした。
まだ、夏の余韻に浸っていました。
外へ出る前、車の中の温度計が17℃、となっていたので、
半袖では寒いのは当たり前です。
しかしまあせっかく来たのでもあるし、しばらくは半袖でもガマンできるであろう、ということで
私たちは、目の前に開けた小径に歩を進めました。
一面、黄金色の、すすきのまさに“じゅうたん”です。
すすきのじゅうたんが、折からの強風にあおられて、右へ、左へ大きくしなりたなびき、
そこへ雲間から時折顔を出すおひさまの光がキラと反射して
鈍い銀色を放っています。
これはかなりキレイです。
ひさびさに、人工物以外でキレイなものを見たな、という気持ちになりました。
南を見ると、まだ夏の衣を纏ったままに見える、紀伊山地の深緑の山塊。
北には、「木の国」と言われる紀州にあって、唯一開けた紀ノ川の平野。
目の前に広がる、すすきの群生。
山頂は芝生、なんでしょうか刈り込まれた草のなだらかな丘、になっていて、そこで観光客が一息ついて、子供たちは
芝ソリのようなことをして嬌声をあげています。
しかしそれにしても寒いです。
生石山の標高は、870m。
気温はおそらく17℃。
それに風。立っていたら煽られそうな風が、びょうびょうと吹き募っています。
周りをぐるりと見渡しても、遮るものが無い、この一帯では最高峰の山を甘く見てはいけませんでした。
私たちを除く県外からの観光客の皆さんは、全員が、長袖。しっかり情報を仕入れて
山頂の気温、に適応していますが、それでも17℃にこの風は、やや厳しいのでしょうか、歓声が上がるのは
体感温度、などということにはおそらく無縁な子供たちばかりで、
大人たちは皆一様に言葉少な目です。
それでもそこかしこで、幕の内、などを広げている妙齢のご婦人方の眉間には縦ジワが入っています。
少し遅れた避暑、が一足早い冬体験、となったみたいです。
半袖、の私たちは、周囲風景掌握、すすき群生網膜焼付完了、と指差し確認して、
早々に車に乗り込みました。
生石山は今、ススキの最盛期です。
ぜひぜひ、ウワモノを1枚羽織って、お出かけください
2012年09月23日
男子がもらって困るブローチ展。
急に涼しくなりました。
春から夏へは、5月あたりからじわりじわりと気温も湿度も上がってきて、
梅雨入りして25℃から30℃あたりを2か月ほどかけて行ったり来たりして
どこからが夏であるか、という線引きが曖昧なように思いますが、
9月は夏と秋の線引きがはっきりしていますね。必ず今日のように
気温がカクン、と下がって、カラッとしたいい日がやってきます。
この前の火曜日、メーカーのセミナーで大阪へ行ってきました。
セミナーは3時過ぎに終わったので、それからヒサビサに、
梅田のLOFT、に行きました。
何年ぶりでしょうか。
見た目まだ若い、と自覚しているときは大阪へ出るたび覗いていたんですが、
齢50を越え見た目にも腹周りにも大苦戦を強いられている最近は
気後れもあってか、なかなか近づくこともありませんでした。
ロフトは、“こだわりのある生活雑貨”のお店で、1日居ても飽きません。
置いてある雑貨は面白いものばかりなんですが、POPがとても上手で、
お勉強にもなります。
私は6階の、本やら何やらが雑然と並べられた風情で実は計算されつくしている
ビレッジ・ヴァンガードが大好きで、今日もここでキッチュな小物を
時間を忘れて見てしまいました。
スギちゃんのデニムを着た白鵬がコスプレ売り場に。
わかりやすい体重計。1980円。
clear="all">
つぶやきシローの声で、身の周りのモノがつぶやく、つぶやき隊の本。YOUTUBEでも見れます。
小一時間もウロウロした後、私は、7階の催事場へ行きました。
そこで、思いもよらないイベントが行われていたんです。
タレントでもありお笑い芸人でもある、光浦靖子さんの手による、
「男子がもらって困るブローチ展」。
光浦さんの手作りのブローチが、展示されています。
50個もあったでしょうか。
そのひとつひとつが実にすごく上手なんです。
手も込んでいます。
でも何かコワいです。
好きな男子に渡すのに、「好き」を通り越して「念」に変わってしまったみたいです。
展示会場のキャッチコピーは、
「行き場の無い愛情と母性がここに集結!」。になっていました。
このブローチのひとつひとつは、とてもオモシロ気色悪いですが、
「光浦さんのようなタイプ?の女性がそこそこのイケメンに、
おずおずとブローチを差し出す。イケメン苦笑い」という構図まで想像させてしまうところに、
彼女の頭の良さが見てとれます。
「男子がもらって困るブローチ展」は、9月30日まで梅田ロフト’階で開催中。
大阪へ行くついでがあったら、寄ってみるのもいいですよ。
ワカモノの館・梅田ロフトで、結局私が買ったのは足つぼマッサージ
春から夏へは、5月あたりからじわりじわりと気温も湿度も上がってきて、
梅雨入りして25℃から30℃あたりを2か月ほどかけて行ったり来たりして
どこからが夏であるか、という線引きが曖昧なように思いますが、
9月は夏と秋の線引きがはっきりしていますね。必ず今日のように
気温がカクン、と下がって、カラッとしたいい日がやってきます。
この前の火曜日、メーカーのセミナーで大阪へ行ってきました。
セミナーは3時過ぎに終わったので、それからヒサビサに、
梅田のLOFT、に行きました。
何年ぶりでしょうか。
見た目まだ若い、と自覚しているときは大阪へ出るたび覗いていたんですが、
齢50を越え見た目にも腹周りにも大苦戦を強いられている最近は
気後れもあってか、なかなか近づくこともありませんでした。
ロフトは、“こだわりのある生活雑貨”のお店で、1日居ても飽きません。
置いてある雑貨は面白いものばかりなんですが、POPがとても上手で、
お勉強にもなります。
私は6階の、本やら何やらが雑然と並べられた風情で実は計算されつくしている
ビレッジ・ヴァンガードが大好きで、今日もここでキッチュな小物を
時間を忘れて見てしまいました。
スギちゃんのデニムを着た白鵬がコスプレ売り場に。
わかりやすい体重計。1980円。
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つぶやきシローの声で、身の周りのモノがつぶやく、つぶやき隊の本。YOUTUBEでも見れます。
小一時間もウロウロした後、私は、7階の催事場へ行きました。
そこで、思いもよらないイベントが行われていたんです。
タレントでもありお笑い芸人でもある、光浦靖子さんの手による、
「男子がもらって困るブローチ展」。
光浦さんの手作りのブローチが、展示されています。
50個もあったでしょうか。
そのひとつひとつが実にすごく上手なんです。
手も込んでいます。
でも何かコワいです。
好きな男子に渡すのに、「好き」を通り越して「念」に変わってしまったみたいです。
展示会場のキャッチコピーは、
「行き場の無い愛情と母性がここに集結!」。になっていました。
このブローチのひとつひとつは、とてもオモシロ気色悪いですが、
「光浦さんのようなタイプ?の女性がそこそこのイケメンに、
おずおずとブローチを差し出す。イケメン苦笑い」という構図まで想像させてしまうところに、
彼女の頭の良さが見てとれます。
「男子がもらって困るブローチ展」は、9月30日まで梅田ロフト’階で開催中。
大阪へ行くついでがあったら、寄ってみるのもいいですよ。
ワカモノの館・梅田ロフトで、結局私が買ったのは足つぼマッサージ
2012年09月18日
ツクツクの長い夏。
おおきな台風が九州の西をかすめて過ぎ去っていきました。
こっちにこなくて良かったですね
ツクツクホウシがまだ鳴いています。
クマゼミの声が途絶え、ツクツクになってしばらく経ちます。
ツクツクが聞こえてきたらしばらくすると秋、と感じていたのはいつの頃だったのでしょう。
今日も、暑い暑い。
ツクツクホウシの勢力が未だ衰えません。
このまま10月になっても11月になっても、
ツクツクが鳴き続けていたら嫌だなあ、とまあそんなことはありえないと思うのですが、
私はどうもあの、ツクツクホウシの鳴き声が苦手です。
クマゼミはただもうシャワシャワとうるさいだけで、
そのうち気にならなくなります。
クマゼミの声がうるさくて仕事にならん、とか
クマゼミの声のせいでイラついてきのくに信用金庫に押し入った、
などということは聞いたこともありません。
松尾芭蕉の名句で、「閑かさや 岩にしみいる 蝉の声」というのがありますが
聞きすごしているうちに、今ならビルやら何やらに“しみいって”しまうのか、
本当に気にならなくなります。
ところがツクツクホウシは、そうはいきません。
ツクツクホウシ、のそうはいかないところは、あの思わせぶりな「鳴き方」にあるのだと思います。
まず、最初、「ホゥーシ。」と、鳴きます。
これで辺りの様子をうかがうようにして、大丈夫だとわかれば、
一呼吸おいて、ツクツクホーシ、ツクツクホーシ、と、繰り返すようになります。
そして、だんだんだんだん、ツクツクホーシのスピードを、速めていきます。
鬼太鼓座の太鼓がクライマックスへ向かって打ち鳴らすスピードを速めるように、
ツクツクホーシもツクツクの鳴き声のスピードを速めていきます。
もう、おそらく鳴いているほうとしては一心不乱、というか感極まったというか、
猛烈に気持ちよさげ、なことだけは確かです。
そして、いよいよクライマックスなんでしょうかエクスタシーなんでしょうか、
ツクツクはさらに変調し、
「ツクシーオー」などと言います。
この変調に、意表を突かれます。
盲目の津軽三味線師の玉の汗を掻きながらのバチさばき、のようです。
これを何回か繰り返して、やがて恍惚として、ジィィィィっと消え入るように鳴いて、鳴きやみます。
おそらく、あまりの気持ちの良さに半ば失神、しているんだと思います。
クマゼミでもミンミンでも、みんな同じ一定のリズムを繰り返すので、
気にならないんです。芭蕉が一句詠むほどの風物詩にさえなるんです。
芭蕉もたぶん、ミンミンあたりで一句詠んだに違いありません。
それに比べて、ツクツクホウシのこのごちゃごちゃと込み入った鳴き方。
山の中などで大勢のツクツクが鳴いている分には問題が無いんです。
一匹だけ。
独唱。
これが耳について仕様がないのです。
ツクツクホウシにお願いできるなら、まずあの最初の思わせぶりな「ホゥーシ」、を止めていただきたい。
さあ、鳴きまっせ。みたいな感満載なので、止めていただきたい。
そして、そのあとの、ツクツクホウシ、のリフレインの回数、これをきっちり決めてほしい。
5回なら5回、10回でもかまわないので、きっちりしてほしい。
感極まって「ツクシーオ」と、言いたければ言ってもかまわないので、どこら辺でツクシーオに変わるのか、
それをはっきりしてもらいたいと思うのです。
どうもこの変調がきになって仕様がないのです。
私の家は山の際にあるので、よく窓に一匹だけやってきて
ホゥーシ。と始めるので余計そのようにツクツクを意識するのでしょうか。
いつまで経っても終わらない夏。
明日も、ツクツクホウシの声が目覚まし替わりです。
こっちにこなくて良かったですね
ツクツクホウシがまだ鳴いています。
クマゼミの声が途絶え、ツクツクになってしばらく経ちます。
ツクツクが聞こえてきたらしばらくすると秋、と感じていたのはいつの頃だったのでしょう。
今日も、暑い暑い。
ツクツクホウシの勢力が未だ衰えません。
このまま10月になっても11月になっても、
ツクツクが鳴き続けていたら嫌だなあ、とまあそんなことはありえないと思うのですが、
私はどうもあの、ツクツクホウシの鳴き声が苦手です。
クマゼミはただもうシャワシャワとうるさいだけで、
そのうち気にならなくなります。
クマゼミの声がうるさくて仕事にならん、とか
クマゼミの声のせいでイラついてきのくに信用金庫に押し入った、
などということは聞いたこともありません。
松尾芭蕉の名句で、「閑かさや 岩にしみいる 蝉の声」というのがありますが
聞きすごしているうちに、今ならビルやら何やらに“しみいって”しまうのか、
本当に気にならなくなります。
ところがツクツクホウシは、そうはいきません。
ツクツクホウシ、のそうはいかないところは、あの思わせぶりな「鳴き方」にあるのだと思います。
まず、最初、「ホゥーシ。」と、鳴きます。
これで辺りの様子をうかがうようにして、大丈夫だとわかれば、
一呼吸おいて、ツクツクホーシ、ツクツクホーシ、と、繰り返すようになります。
そして、だんだんだんだん、ツクツクホーシのスピードを、速めていきます。
鬼太鼓座の太鼓がクライマックスへ向かって打ち鳴らすスピードを速めるように、
ツクツクホーシもツクツクの鳴き声のスピードを速めていきます。
もう、おそらく鳴いているほうとしては一心不乱、というか感極まったというか、
猛烈に気持ちよさげ、なことだけは確かです。
そして、いよいよクライマックスなんでしょうかエクスタシーなんでしょうか、
ツクツクはさらに変調し、
「ツクシーオー」などと言います。
この変調に、意表を突かれます。
盲目の津軽三味線師の玉の汗を掻きながらのバチさばき、のようです。
これを何回か繰り返して、やがて恍惚として、ジィィィィっと消え入るように鳴いて、鳴きやみます。
おそらく、あまりの気持ちの良さに半ば失神、しているんだと思います。
クマゼミでもミンミンでも、みんな同じ一定のリズムを繰り返すので、
気にならないんです。芭蕉が一句詠むほどの風物詩にさえなるんです。
芭蕉もたぶん、ミンミンあたりで一句詠んだに違いありません。
それに比べて、ツクツクホウシのこのごちゃごちゃと込み入った鳴き方。
山の中などで大勢のツクツクが鳴いている分には問題が無いんです。
一匹だけ。
独唱。
これが耳について仕様がないのです。
ツクツクホウシにお願いできるなら、まずあの最初の思わせぶりな「ホゥーシ」、を止めていただきたい。
さあ、鳴きまっせ。みたいな感満載なので、止めていただきたい。
そして、そのあとの、ツクツクホウシ、のリフレインの回数、これをきっちり決めてほしい。
5回なら5回、10回でもかまわないので、きっちりしてほしい。
感極まって「ツクシーオ」と、言いたければ言ってもかまわないので、どこら辺でツクシーオに変わるのか、
それをはっきりしてもらいたいと思うのです。
どうもこの変調がきになって仕様がないのです。
私の家は山の際にあるので、よく窓に一匹だけやってきて
ホゥーシ。と始めるので余計そのようにツクツクを意識するのでしょうか。
いつまで経っても終わらない夏。
明日も、ツクツクホウシの声が目覚まし替わりです。
2012年09月10日
宇宙検定★
皆さん、こんにちは!
フェイシャルクラブの酒井です!先日、フェイシャルにメーカーの営業兼美容アドバイザーの下川さんが来られた時の事。彼女が来る日は私も彼女の明るく大らかでふんわりした雰囲気に惹かれ、お会いするのが非常に楽しみで、ウキウキ↑ルンルン♪なのですが…。
下川さんはなかなかの個性派!非常に可愛いらしい不思議ちゃんオーラを放っておりまして。
『さぁ、今日はどんな下川ワールドを見せてくれるか?!』
期待満々(Θ∪Θ)ゞ♪やっぱりやってくれました↑↑↑
ミーティングの最中にちらりと彼女の手帳から見えた文字…。
【☆宇宙検定☆】
『な、なんなん?!!』『下川さん、宇宙検定って何ですかぁ!』
なんでも、去年から出来た検定で、正式名は【天文宇宙検定】というらしい。
宇宙博士?
宇宙飛行士…?
何の為に?仕事に活用?えっ?えっ?宇宙って何やのぉ〜(ε仝ε)??で、聞いてみた♪
『何の為に宇宙検定をとるんですか?』
『合コンに使おうと思って、とります!』
はぁ…?
ほぉ!
やっぱり、はぁぁ?(笑)
下川さん!!ワイルドだぜぇ〜(^_-)
やっぱり期待を裏切らない下川さんなのでした☆
追伸 今月、宇宙検定2級を受けるそうです!
下川さんょ!奮闘を祈る!!
追伸2 下川さんが担当しているプルソワンは、エステとスキンケア、そして健康補助食品をコンセプトに、お客様一人一人の肌を大切に、なりたい綺麗をお手伝いする高機能、高品質にこだわったメーカーです。リピート率も非常に高く、肌も体も結果を出してくれる商品ばかりです!
ちなみに私は今サプリメントの効果の高さに感動し、ハマっています〜!
というわけで、宇宙検定って合コンに使えるかも??なのでした♪
フェイシャルクラブの酒井です!先日、フェイシャルにメーカーの営業兼美容アドバイザーの下川さんが来られた時の事。彼女が来る日は私も彼女の明るく大らかでふんわりした雰囲気に惹かれ、お会いするのが非常に楽しみで、ウキウキ↑ルンルン♪なのですが…。
下川さんはなかなかの個性派!非常に可愛いらしい不思議ちゃんオーラを放っておりまして。
『さぁ、今日はどんな下川ワールドを見せてくれるか?!』
期待満々(Θ∪Θ)ゞ♪やっぱりやってくれました↑↑↑
ミーティングの最中にちらりと彼女の手帳から見えた文字…。
【☆宇宙検定☆】
『な、なんなん?!!』『下川さん、宇宙検定って何ですかぁ!』
なんでも、去年から出来た検定で、正式名は【天文宇宙検定】というらしい。
宇宙博士?
宇宙飛行士…?
何の為に?仕事に活用?えっ?えっ?宇宙って何やのぉ〜(ε仝ε)??で、聞いてみた♪
『何の為に宇宙検定をとるんですか?』
『合コンに使おうと思って、とります!』
はぁ…?
ほぉ!
やっぱり、はぁぁ?(笑)
下川さん!!ワイルドだぜぇ〜(^_-)
やっぱり期待を裏切らない下川さんなのでした☆
追伸 今月、宇宙検定2級を受けるそうです!
下川さんょ!奮闘を祈る!!
追伸2 下川さんが担当しているプルソワンは、エステとスキンケア、そして健康補助食品をコンセプトに、お客様一人一人の肌を大切に、なりたい綺麗をお手伝いする高機能、高品質にこだわったメーカーです。リピート率も非常に高く、肌も体も結果を出してくれる商品ばかりです!
ちなみに私は今サプリメントの効果の高さに感動し、ハマっています〜!
というわけで、宇宙検定って合コンに使えるかも??なのでした♪
2012年09月08日
長く素晴らしく憂鬱な一日。
私はもともとそそっかしい、というか
不注意なところがある、と人からよく指摘をされます。
自分でもそういう自覚が少しあって、
例えば車の運転をするときなどは
いつも通る道にラーメン屋ができていたり
晴れ着のおねいさんが歩いていたりするとつい目をやってしまい、
路肩の桜が満開であったり、花火が上がったりした日には
ボー然とそれらを眺めてしまい、
助手席の人が「前!」と叫ぶ、ということが間々あります。
これは不注意以前の安全運転に対する心がけのモンダイであるのかもしれませんが、
いずれにしても「このくらいはまあ大丈夫であろう」という、
危機に対する認識が甘い、ということは
自分でもほんのり納得している部分があります。
先週の夜のこと。
閉店後、お店の装飾を、真夏から初秋バージョンに替えようと、
ヒマワリやらあさがおのディスプレイをかたずけ、
コスモスを飾りました。
2時間も費やしたでしょうか。天井の幕も空色から暮れなずむスミレ色にしました。
人心地ついて、「やっこらせえ」と、エステ用の椅子に座ろうとしました。
この時、この椅子がゴマ付きであるのできちんと腰かけないと動く、ということを
心の片隅にでもとどめていたらこのあとの惨劇はなかったのですが、
な~んにも考えずに、「やっこら・・・」と腰を落とすと、
表面が塩化ビニールでできているので、つるりん、とすべって
お尻の圧力で椅子がはるか後ろへはじけ飛び
コンクリートにラバーを張っただけの床にまともにお尻から落下してしまいました。
約1メートルの高さ。これくらいが一番危ないのです。
きゃたつ、などで作業しているときは、落下=90%以上の確率で救急車、となるので
全神経を集中させていますがこれくらいの高さが一番危ない、などとじじいのようなことを言っておりますが
本当にこのときは、あれま? というくらい簡単に尻もちをつきました。
ただの尻もち、ならよかったのですが、打ちすえたとき、
ゴキッ
と音がしたような気がしました。
ちょうど人間にシッポがあればこの辺りから生えるであろうなあという
お尻の上の骨、つまりは尾てい骨、をしたたか打ってしまったのです。
エビ反るほどの痛み。(これはいかんコケかたや)
店の床で体をくの字に曲げて、猛烈な痛みとタタカっているうち、
猛烈に笑えてきました。
お尻を売ったら笑いながらなんとか、とかエンギでもないことを聞いたことがありますが
痛いのに猛烈に笑えてくるのです。
体をエビ反らせたまま、「うわっはっはっは」と、
痛いのに笑いが止まりません。これは打撲レベルでの痛みではありません。
猛烈な痛み。あぶら汗がにじみ出てきます。立ち上がることすらできません。
なのに笑いが止まりません。
笑うと尾てい骨に響いて、これが痛みを増幅させているのですが
どこかの笑う神経細胞にスイッチが入ってしまったみたいに笑いが止まらないのです。
長い長い時間が経ちました。
ようやくヒイヒイいいながら上体を起こしました。
あくる日、病院でレントゲンを撮ったら、案の定、
尾てい骨にひびが入っていました。
あれから1週間。
なんとか痛みもすこしおさまってきましたが
バイクに乗ると振動が尾てい骨を直撃して
痛いのに笑えてきます。
なので、ミーアキャットのように腰を浮かせなければなりません。
腰を浮かせてもバイクの振動は手などから伝わって尾てい骨に届き
わきの下をくすぐられているときのようなこそばゆさが尾てい骨から全身をかけめぐり
笑いが止まらなくなります。
バイクで立ち乗りして大笑いしながら走っていると
事情を知らない人からするとかなり危ない人物、通報、連行、逮捕などということになるやもしれず
ただいまは近場はてくてくと歩くようにしています。
それにしてもお尻を打つとなぜ笑えるのか。
謎は深まるばかりです
不注意なところがある、と人からよく指摘をされます。
自分でもそういう自覚が少しあって、
例えば車の運転をするときなどは
いつも通る道にラーメン屋ができていたり
晴れ着のおねいさんが歩いていたりするとつい目をやってしまい、
路肩の桜が満開であったり、花火が上がったりした日には
ボー然とそれらを眺めてしまい、
助手席の人が「前!」と叫ぶ、ということが間々あります。
これは不注意以前の安全運転に対する心がけのモンダイであるのかもしれませんが、
いずれにしても「このくらいはまあ大丈夫であろう」という、
危機に対する認識が甘い、ということは
自分でもほんのり納得している部分があります。
先週の夜のこと。
閉店後、お店の装飾を、真夏から初秋バージョンに替えようと、
ヒマワリやらあさがおのディスプレイをかたずけ、
コスモスを飾りました。
2時間も費やしたでしょうか。天井の幕も空色から暮れなずむスミレ色にしました。
人心地ついて、「やっこらせえ」と、エステ用の椅子に座ろうとしました。
この時、この椅子がゴマ付きであるのできちんと腰かけないと動く、ということを
心の片隅にでもとどめていたらこのあとの惨劇はなかったのですが、
な~んにも考えずに、「やっこら・・・」と腰を落とすと、
表面が塩化ビニールでできているので、つるりん、とすべって
お尻の圧力で椅子がはるか後ろへはじけ飛び
コンクリートにラバーを張っただけの床にまともにお尻から落下してしまいました。
約1メートルの高さ。これくらいが一番危ないのです。
きゃたつ、などで作業しているときは、落下=90%以上の確率で救急車、となるので
全神経を集中させていますがこれくらいの高さが一番危ない、などとじじいのようなことを言っておりますが
本当にこのときは、あれま? というくらい簡単に尻もちをつきました。
ただの尻もち、ならよかったのですが、打ちすえたとき、
ゴキッ
と音がしたような気がしました。
ちょうど人間にシッポがあればこの辺りから生えるであろうなあという
お尻の上の骨、つまりは尾てい骨、をしたたか打ってしまったのです。
エビ反るほどの痛み。(これはいかんコケかたや)
店の床で体をくの字に曲げて、猛烈な痛みとタタカっているうち、
猛烈に笑えてきました。
お尻を売ったら笑いながらなんとか、とかエンギでもないことを聞いたことがありますが
痛いのに猛烈に笑えてくるのです。
体をエビ反らせたまま、「うわっはっはっは」と、
痛いのに笑いが止まりません。これは打撲レベルでの痛みではありません。
猛烈な痛み。あぶら汗がにじみ出てきます。立ち上がることすらできません。
なのに笑いが止まりません。
笑うと尾てい骨に響いて、これが痛みを増幅させているのですが
どこかの笑う神経細胞にスイッチが入ってしまったみたいに笑いが止まらないのです。
長い長い時間が経ちました。
ようやくヒイヒイいいながら上体を起こしました。
あくる日、病院でレントゲンを撮ったら、案の定、
尾てい骨にひびが入っていました。
あれから1週間。
なんとか痛みもすこしおさまってきましたが
バイクに乗ると振動が尾てい骨を直撃して
痛いのに笑えてきます。
なので、ミーアキャットのように腰を浮かせなければなりません。
腰を浮かせてもバイクの振動は手などから伝わって尾てい骨に届き
わきの下をくすぐられているときのようなこそばゆさが尾てい骨から全身をかけめぐり
笑いが止まらなくなります。
バイクで立ち乗りして大笑いしながら走っていると
事情を知らない人からするとかなり危ない人物、通報、連行、逮捕などということになるやもしれず
ただいまは近場はてくてくと歩くようにしています。
それにしてもお尻を打つとなぜ笑えるのか。
謎は深まるばかりです